ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
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九月博多座大歌舞伎観劇記【1】『三人吉三巴白浪』

2005-09-23 23:51:53 | 歌舞伎
西太后以来の博多座。(八犬伝は行かなかったので・・・)
久しぶりに劇場の前に立ち、幟がひらめくのを眺めていると
猿之助さんの休演のニュースが飛び込んできた時のことが甦り
ちょっと感傷的になってしまいました(/_;)
これは、いかん!!と、『三国志(関羽篇)』で、
初めて博多座に来た時の楽しかった記憶を引っ張り出してきたり・・・
舞台はもちろんのこと、付加価値(!)も高くて、後援会の催しや、
テレビ番組の収録を見学などなど。
博多にひと月で三往復というテンションの高さでした。懐かしい~(>_<)

猿之助さんの舞台も、追っかけ猿★征も、ずっと続くと想っていた―
というか、そんな、続く・続かないなんていう事を意識することもなく。
一年中、観劇と猿★征予定が詰まっていた頃・・・
う~ん、ちょっと前置き(個人的想い入れ)長すぎですね^_^;

『三人吉三巴白浪』

非常に分かりやすく筋を紹介しつつ、
斬新な演出で印象に残っているのが、コクーン歌舞伎。
よく、色々なお芝居でも「お家の重宝」って出てくるけれど、
コクーンではこの庚申丸に纏わる因果を発端として見せ
(差しがねの犬も出てきたり!)
また十三郎のような真面目そうな手代さんが、
なぜ夜鷹と契ってしまったかのあたりも描かれていて、
物語の導入として面白かった。
通常は両国橋川岸が<発端>となるけれど、
その発端の発端!が付いていたってところでしょうか。

今回の博多座では、通常通り川岸のからの上演でしたが、
裏手墓地を見せています。コクーンではこの場はなくて、
博多の舞台を観て、コクーンもここを出せば
→「両人犬の思い入れにて這い寄り水を飲む」@水盃、
冒頭で、差がねのワンちゃん出した甲斐あったかも、と。
でも、このお芝居は、物語の筋がしっかり通っているので
多少の刈り込みがあっても、まったく影響ないですね。
ご都合主義な部分はなくて、すべての絡み合った糸は
きっちり繋がっている。

それぞれ座頭や演出家によって、
時間の配分や趣向の提示の仕方が異なるのは、
それはそれで興味深い。
いつも「通例」ばかりでは、つまらないですもんね。

笑三郎さんの立役は、98年のオグリで、そのきりりとした容姿、
よく一門の芝居を観ている人たちでさえ、一瞬誰?
と気づかないくらいの発声など強く印象に残っています。
(その後、舞踊やお芝居でも、いくつか立役を拝見していますが。)
女形だと、わりとこってりとした持ち味ですが、
立役では、すっきりと清凉な雰囲気のハンサムさんで、身長もあるし、
これまでは、真女形一筋かな~と思っていましたが、
今後、立役でもかなり幅が広がりそうですね~。

春猿さんとのコンビは、映りの良い素敵なカップル
(と言ってはこの設定の場合語弊があるかな?)でした。
春猿さんも、ひとりの娘として純粋な部分と、夜鷹を生業としている、
すでに生娘ではない色気の混在した役柄はぴったり。

右近さんの老け役は、すでに観た人たちから、
その老けっぷりに驚嘆の声があがっているのを聞いていたし、
たまたま夜の部の観劇時並びの席で、すでに昼の部を観ていた知人から、、
「右近さんが老け役って分かっていたのに、
最初の出でこの人とは、すっかり気づかず、驚いた!!」と聞いてたので、
翌日の観劇を楽しみにしていたのですが
(私も気づかなかったらどうしよう~♪と)、
川岸上手からの最初の出で「右近!!」と大向うさんが教えてくれました。
・・・ちょっと残念!?

伝吉、とても重要な役ですよね。タイトルは「三人吉三」だけど、
基本的にはこの伝吉が主軸で、彼に起因する因果応報。
本人たちには何の落ち度もなく、周囲の人々の因縁によって
報いを受けるのが十三郎とおとせ。
(ただ、ひとつ惹かれあったことが罪?)
伝吉とその子供たちが縦糸で、
それに絡む横糸(たち)で織り上がった絵図がこの物語でしょうか。

いろんな意味で右近さんには荷の重い役だったと感じます。
もともとの持ち味が陽性の役者さんなので、
悔恨や苦悩が出るあたりや
自身の中にある善性との葛藤などは良かったけれど、
お竹蔵で数珠を切るところで、過去を彷彿させるような陰性の部分と
凄みがもっと出れば、「起因」がより際立ったかなぁ~と。
こんな報いを受けるほどの因業も抱えていた人間であったことの。

段治郎さんは、これまでの玉三郎さんとの共演に比べると、
格段と余裕が出てきたように感じます。
観る方も慣れてきたのかもしれませんが。
とてもニンに合っているし、悪行に対して「無知」的な部分、
どこか淡々と非情な行為を犯している様子が、
後のあっけなくといえばあっけなく、若く自死する生涯を予感させる。
ま、そんなアレコレはおいといても、
もうフツーに見た目がカッコいいですよね、段ちゃん。
また、筋書の山三の写真がズルいほど素敵です。
(たぶん、この写真見ただけでFC会員数増えているのでは?

逆に失礼ながら、見た目で損をしているのが獅童さん。
やはりお嬢、お坊の兄貴分というには線も細いし、
どうしても見た目若すぎる~!!
声なんかは太くしっかり作っているところもあり、
感情が伝わってくるところもありますが、
台詞廻しというか、台詞の間の取り方には疑問符。

結構、長台詞もあったりしますが、句読点がきっぱりせず、
歌舞伎のリズムっぽくなくなってしまう点と、
他の役者さんの台詞を聞いている?(聞きすぎている?)のか
誰かの台詞のあと喋りだすところで、何か妙な間が空いていた。
一瞬、台詞忘れちゃってる!?と心配になるくらいの。
(ハイ、余計なお世話です^_^;) 

獅童さんと、澤瀉一門ってどんな感じかな~と
まったく接点がないように思っていたのですが、
筋書のインタビューで、
「子役の頃、澤瀉屋さんによく使っていただいていた。」
「スーパー歌舞伎も大体見ています。」とのご発言を読んで、
とても親近感は覚えましたが。

玉三郎さんに対しては今まで、
女性より女性らしい美しさ、艶やかさ、妖艶さ、
と思っていたのですが、今回のお嬢を見て、
一般的にイメージされる雰囲気より、
ずっと男らしい部分もある方だな~と感じました。
娘のナリはしていても、男気のある骨っぽい印象。
全然ナヨナヨもしたところはないし、中性的って感じでもなく。
たぶん、お坊よりも芯は強い?気性も感じた。

大詰も、彼らの死を決定しリードしていくのはお嬢のようにも思えます。

「死罪」とならず「自害」することは、
罪を購うというより、彼らの最期の逃走にも思え、
また、純粋というよりは、若さゆえの単純さが露呈しているようにも。

(ということで、和尚は彼らより多少年長で、多少、了見もあるのでは?
と考えると、彼もこの場で一緒に死ぬのが、どうもそぐわない気もする~。
というか、和尚が死ぬ意味とお嬢お坊の死ぬ意味は違う?←あるいは
これは今回限定の印象かな~。
ラストお坊とお嬢二人の世界になってるし(~_~;))

【追記】

宗教についてレクチャー受けたときの受け売りです。

たとえば、窃盗を犯す人間がいたとして、
それを「悪いこと」と知りながら犯しているのと、
悪いことであるとも何とも知らず犯しているのとどちらが
罪が深いか?という命題があって、
私は、「それを悪い事と知りながら罪を犯す方が悪いのではないか?」
と考えたのですが、宗教では、「無知」ということを「悪」と捉え、
それが悪いとも何とも知らず窃盗を行う方がより悪いと。

「悪いことをしている」という自覚があれば
後に反省・後悔といった悔い改める感情を持つ事もあるかもしれないが、
それが悪いことともなんとも知らなければ、
改悛の気持ちが生まれる可能性もないから、と。
まあ、宗教的には神の愛(もしくは仏の慈悲)を知る可能性
という意味も含めてなのでしょうが、
それを聞いたとき、私は結構目から鱗でした。
悪いと知りながら悪いことしてるほうが悪いじゃん!!
と思っていたので・・・

宗教において「無知」は大罪である、と考えられているようです。

私が上記、お坊の「無知」的な部分、と書いたのは
何か、このあたりの感覚です。上手く説明できませんが・・・

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