ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

蜷川さんと猿之助さん

2005-09-01 21:35:25 | 歌舞伎
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   ほっとけない 世界のまずしさ
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ブログ検索をしていたら、国際交流基金のサイトに(上記とは関係ありません)
蜷川さんのインタビューが掲載されている、という記事を見つけました。
もしかしたら、すでに皆さんご存知かもしれないけれど
私の周囲では話が出てなかったので(8月18日掲載)ご紹介いたします。

『十二夜』の公演があった7月中には、後援会から年に一度
発刊されている「年鑑おもだか'99」に
お二人の対談が掲載されているのを読み返していたのですが、
(もともとはシアターコクーンのプログラムに載ったもの)
この国際交流基金のインタビューを読み、再度
「年鑑おもだか'99」もパラパラとめくっています。
猿之助さんが『コックドール』を演出されたときの話や

―蜷川さんたちは、テアトル・ドュ・ソレイユ(太陽劇団)
がパリ郊外で『十二夜』をやっていたので観に行ったが
面白く上手くはやっているが、なんか感動がないな~と(ーー;)
「おい、帰ろう!俺たちは猿之助さんへ行こう」と予定変更し
コックドールの舞台稽古観にシャトレ座へ行ってしまったとか―

劇評家論(笑)とか、
なぜか明治時代に出来た高層建築のエレベーターの話から
GLAYのコンサートの比喩まで出たり
(猿之助さんがGLAYを知っていたことが驚き(~o~))
ほとんど蜷川さんが聞き手のようになって、歌舞伎について
語りまくる猿之助さん(笑)に、なかなかいい感じの合いの手
入れつつ、という感じの進行ですが、
蜷川さん、初期の春秋会もご覧になっているんですね~。

『金幣猿島群(きんのざいさるしまだいり)』@1969年
を観て、蜷川さんもこれをやりたくて演出ノート作っていたけど
春秋会を観て驚愕し、出来なくなってしまったとか。
その頃は蜷川さんアングラをやっていたが、こんなこと
歌舞伎でやられたら、アングラ全部もうやられちゃってる
じゃないか、と思ったそう・・・

現代の歌舞伎が指揮者なきオーケストラってことは、
この対談で、猿之助さんがおっしゃってますね。
昔は座頭が暗黙のうちにその役割を担っていたが、と。

全部を引用するわけには行かないので
この辺にしておきますが、笑ってしまったのが、
蜷川さんが、猿之助さんに対し
「役者たちを怒鳴ったりしないんですか?」
という質問をした際に、
「堪忍袋の緒が切れて、まあ物は投げないけど怒鳴りますよ。
でも、ガァーッて言えないんですね。
きちんとやって下さい!って丁寧語になっちゃうの。」
って、答えていたこと。なんか、らしくて!(^^)!

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