紘一郎雑記帳

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国や企業の盛衰は人材にあり 第2部 紘一郎雑記張

2012-02-09 04:28:23 | Weblog

国や企業の盛衰は人材にあり 第2部 
紘一郎雑記張 偉人氏よりのメール

イオンの創業者は三重県で250年続く老舗呉服屋の岡田屋7代目として生まれた岡田卓也である。卓也は大学在学中に軍隊入隊を余儀なくされ、20歳で終戦を迎え郷里の三重県の四日市へ帰ってきたが、岡田屋の建物は全焼していた。先代が営々と築いてきたものの全てが焼けてなくなってしまったのだが、一つだけ焼残っているものがあった。それは岡田屋の「土蔵」である。土蔵の中には、父親の日記が残されていた。父親は卓也が2歳の時に亡くなっているので会話を交わすことはなかった。しかしこの日記から父親から教えを受けることになる。日記には「すべての事業は、まず志を立てることが肝要だ」ということが雄弁に語られていた。さらに父親が1617歳の頃にあげた目標が記されていた。「行商をしながら、東海道をさかのぼり、東京に向かう。そして、当時の日本の産業の大立者、渋沢栄一翁に会いに行く」というものであった。そして、父親は本当に、四日市や桑名等の地元で産物を背負い、行商を重ねながら旅費を稼ぎ、東海道をさかのぼる。ついに東京にたどり着き、実際に渋沢栄一との面会を実現させたのである。その時の父親の感激が日記にありありとつづられていたという。

この父親の日記を焼残った土蔵の中で読んだ卓也は強い衝撃を受ける。「とにかく志を立てることが、事業を推進する最大の原動力だ」と奮い立ち、この父親の教えを商売の指針とし、裸一貫から家業の復興に取り組んだという。そして今日のイオンの土台を築きあげた。

余談になるが政治の世界では24日から通常国会が始まるが、先日、副総理に就任したのがこの岡田卓也の息子の岡田克也である。日本の将来の道筋を示す社会保障と税との一体改革を成し遂げられるか、どうかはこの男の力量にかかっているともいえるだろう。

克也は、元々は政治家になろうと思っていたわけではない。幼小の頃はタクシーの運転手になりたかったという。イオンの倅がそんな普通のことを考える子供だったのかと思うかもしれないが、克也が生まれたのは昭和28年。まだ実家は呉服と日用衣料品を売っているにすぎず、地元のちょっとした小金持ちの名士といったところであろうか。
しかし父親の背中を見て育ったからか、学生時代に公のための働きたいという気持ちがふつふつと沸いてきたという。そして東大を卒業後、進路に選んだのが通産省(現・経産省)であった。

この時もまだ政治家になることはまったく考えていなかったが、通産相にいる時に米国に留学したことがきっかけとなったようだ。宇宙戦チャレンジャーの爆発事故があり、当時、大統領であったレーガンの4分間の真摯な演説を聞く。犠牲者を心から悼みながらも、宇宙計画は断固続行するという力強いものであった。この演説を聞いた国民がとても勇気づけられていることを実感する。この瞬間、米国の地で政治や政治家の果たす役割の大きさ、政治の可能性の大きさに気づき、政治家を志すことを決意したという。そして通産省を辞めて36歳で国会議員になった。

今回、副総理を引き受けたことは評価したい。社会保障と税との一体改革の取りまとめを期待されてのことであろうが、取り巻く状況は非常に厳しい。その上、失敗すれば総理のポストは遠のく。
もし総理になることを一番に考えるならば副総理を引受ない方が無難であったであろう。それをあえて引き受けたところに覚悟だけは感じる。

世論調査で消費税の増税に約半分が賛成、半分が反対であるが、どちらにしても国民感情としては、増税の前に議員定数の削減、公務員の給与カットが先であろう。
通常国会冒頭にまずこの二つを取りまとめられるかどうかが鍵になる。取りまとめが出来なければ、国民は増税に納得しないだろう。ここは総理の道や政治生命が断たれようが、国益のために働くことを期待したい。