桜が満開の山形です。昨夜は、夜桜を見に、山形市の名所「霞城公園」に行きました。
風もなく、お堀に映る桜は、この世のものとは思えない世界を見せてくれます。
コロナも終わったことだし、さぞ「花見」で盛り上がっているかと思いきや、静かなこときわまりない。
もはや、桜の下で飲みまくって騒ぐという文化はなくなってしまったのでしょうか。
ビニールシートを広げて騒ぐ人が誰もいないのを不安に思いながら桜並木を歩いてゆくと、一画だけありました。ただ静かに飲食している。…もっと騒いでもいいのに。
東京の「花見」は盛り上がったのかどうか知りませんが、山形ではちょっと「断絶」してしまった感じ。もはや、コロナ前のような「花見文化」は途切れてしまった。
その昔、大学のキャンパス内の、ちょっとした桜の下でさえ、正体が無くなるまで飲むのが春の当たり前だった私のような者には、ちょっと寂しい。
昨日も、昔のような屋台も無いことにがっかり。せっかくだからビールでもと、飲む気まんまんだったのですが。
世の中の規制とかはコロナ前に戻りましたが、変わってしまった雰囲気はなかなか元に戻りませんね。
「酒なくて何の己が咲くものか」…こういうのも「死語」になるのでしょう。酒酒サクラ、桜咲け!
今はとにかく、桜を堪能しましょう。
風もなく、お堀に映る桜は、この世のものとは思えない世界を見せてくれます。
コロナも終わったことだし、さぞ「花見」で盛り上がっているかと思いきや、静かなこときわまりない。
もはや、桜の下で飲みまくって騒ぐという文化はなくなってしまったのでしょうか。
ビニールシートを広げて騒ぐ人が誰もいないのを不安に思いながら桜並木を歩いてゆくと、一画だけありました。ただ静かに飲食している。…もっと騒いでもいいのに。
東京の「花見」は盛り上がったのかどうか知りませんが、山形ではちょっと「断絶」してしまった感じ。もはや、コロナ前のような「花見文化」は途切れてしまった。
その昔、大学のキャンパス内の、ちょっとした桜の下でさえ、正体が無くなるまで飲むのが春の当たり前だった私のような者には、ちょっと寂しい。
昨日も、昔のような屋台も無いことにがっかり。せっかくだからビールでもと、飲む気まんまんだったのですが。
世の中の規制とかはコロナ前に戻りましたが、変わってしまった雰囲気はなかなか元に戻りませんね。
「酒なくて何の己が咲くものか」…こういうのも「死語」になるのでしょう。酒酒サクラ、桜咲け!
今はとにかく、桜を堪能しましょう。
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