中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

シラー

2008-12-17 23:03:06 | 山形弦楽四重奏団
 「愛、愛のみがはじめて  自然の父へと導く」 (シラー)

 さて、次回の山形Qの定期演奏会では、ベートーヴェンの「ラズモフスキー第3番」をとりあげます。やっぱり難しい…。難曲として有名なので、弾く前から身構えてしまっているせいもあるかも知れません。

 でもやはり名曲です。良い曲ですね…特に第2楽章…。そう言えば終楽章は、前回弾いたブラームスの五重奏の終楽章が、この「ラズモフスキー」に影響を受けたと言われてますね。言われてみればわかるような気もしますが、「似ている」わけではありません。やはり「作品」は「作者」そのものを映しますから、全然性格が違うのは当たり前です。

 ところで、ベートーヴェンは文学に関しては、ゲーテとシラーに影響を受けたとよく言われます。ベートーヴェンの作品への理解にはつながらないかも知れませんが(無理にこじつけても良くないでしょうし)、せっかくのご縁ですから、マイナーな方のシラーに少しだけ触れてみます。

 「宇宙は神の思想である」…。シラーの若い頃の文章の中にある言葉です。どういう事でしょう?さっき「作品は作者を映す」と言いました。だとすれば、もし「神がこの世を創った」のが本当なら、この宇宙は神の「作品」なわけですから、全て自然にあるものには、神の「個性」や「思想」や「イメージ」が見てとれるはずだという事ですね。

 神の個性って、どういうものでしょう?やはりそれは「完全である」という事でしょうね。確かに自然の仕組みはよくできています。ひとつの「意志」みたいなものを感じたくなります。

 そしてもちろん、われわれ人間も神が創ったとすれば、「完全性」を持っている事になります。自分自身の完全性は、自分自身に喜びをもたらすはずです。「すべての精神はその完全性によって幸福である」…これもシラーの言葉です。

 ちょっと飛躍があるような気もしますが、シラーは情熱的なので、まだまだ飛躍します。

 自然の中のさまざまなものは、神の完全性を分けて持っているので、それぞれの間には「引力」があるのだと言います。その「引力」が「愛」なのです。愛を持って、自然の全てのものの内に、あらゆる種類の美や偉大さを感じ、それらに大きな統一を見出だす時、人は神に近づくのだと。

 「憎しみの心を抱く時私たちは死んだ群衆だ、
  愛の心で抱擁しあう時私たちは神々だ」

 …熱い人です。ベートーヴェンに通ずるものを感じてしまいます。ベートーヴェンの音楽の「熱さ」も、戦闘的なものではなくて、こういう種類のものかも知れません。シラーには芸術について語った文が、けっこうあります。それはまたの機会に。
コメント (2)
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