日本人が、
ものすごく誤解しているのは、
「戦前の天皇は、絶対君主だった」
という大ウソだ。
確かに、
戦前の天皇は、
「非常に敬われていた」。
「現人神」・・・などとも形容されていた。
学校には、「ご真影」が、
大切に保管されていた。
また天皇を冒涜すれば「不敬罪」に問われた。
実際、明治憲法を見ると・・・
第1條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
・・・となって、あたかも絶対君主のように見える。
しかし!
実は、戦前の天皇制は、
元老院や内閣や軍隊の「輔弼」によって、
やっと成立していたのである!
「輔弼」とは、「追認」ということである。
つまり、天皇がAと思っても、
国務大臣たちがBと言えば、
天皇もBに従っていたのである。
そのことは、明治憲法の55条に明確に書かれている。
「第55条
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。
凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス」
つまり、あらゆる法律および政治に関する詔勅は、
国務大臣の署名が必要だった・・・わけである。
ただし!
正直に言えば、
戦前の天皇の意見もかなり通った!
天皇の怒りで、
田中義一内閣がつぶれ、
2・26事件を起こした将校たちは、処刑された。
太平洋戦争中も、一部であるが、
天皇の思惑通りに、事が運んだこともある。
しかし!
昭和天皇は言っている。
「もし自分が、太平洋戦争に反対していれば、自分は殺されたかもしれない」
「自分が、2・26事件に反対しなければ、弟の秩父宮が、天皇になっていたかもしれない」
「御前会議では、大臣や軍人の言う通りにしたが、自分はウソばかりつかれていた」
そして!
以上の昭和天皇の思いが事実である証拠がある。
昭和20年8月9日夜の11:45から
御前会議が開かれた。
これは
昭和20年8月10日早朝の02:30まで、続いた。
このとき、ポツダム宣言を受諾することが、
決定したのである。
ところが!
陸軍首脳は、御前会議の決定を無視し、
「聖戦完遂の大臣告示」を、
全部隊に伝えたのである!
考えても見よう!
もし天皇が政治に関わったら、どうだろう?
失敗したら、国民の怨嗟により、
天皇制はすぐにつぶれるであろう!
つまり、天皇制とは、
天皇が国政にタッチしないことによって、
なんとか成立可能なのである。
しかも!
古代、中世はいさ知らず、
近代政治というのは、
たった一人の思惑で動くほど、
単純なものではない。
各部署の専門家に、
政務を任せてこそ、
やっと成り立つものである。
そもそも
まともな近代国家においては、
絶対君主制・・というのが、
ありえないわけだ。
まともでない国家・・・
たとえば北朝鮮のような国は、
独裁制は可能だ。
しかし、北朝鮮だって、
「機構上」は、
「民主主義」となっている。
つまり金王朝ではないのであり、
「たまたま金日成の子供と孫が、元首になっているだけ」
というわけだ。
過去の日本の歴史を見てみると、
本当の独裁者は、非常に少なく、
強いてあげれば・・・
「天智天皇」「天武天皇」「桓武天皇」「後白河上皇」「平清盛」
「足利義満」「足利義教」「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」
「徳川綱吉」「徳川吉宗」・・・
などが思い浮かぶが、
よくよく見てみると、
「才覚と運により、一時的に、独裁者のようにふるまった」
というのが正しく、
結論を言えば、
「制度しての絶対君主制は、日本には存在しなかった」
と言っていいだろう。
とくに江戸時代までの天皇は、
京都御所に住んでいたが、
ここは「堀」があるわけでもなく、
非常に危険な場所であった。
絶対君主が、そんな危険な場所に住むだろうか?
そういうことを考えても、
「制度しての絶対君主制は、日本には存在しなかった」
・・・のである。
大学の歴史学者の多くは、
とんでもない誤謬の中にいると言えよう。
ちゃう?