人を好きになることは、
楽しいことだ。
ただ欠点も2つある。
一つは、
好きすぎて、苦しくなることもあることだ。
おいしい酒も、飲みすぎると、苦しくなる。
二番目は、
相手のことを独占したくなることだ。
他人に渡したくない。
ヒット大地も当然、以上の二つの経験がある。
でも、この2点を、乗り越えない限り、
その人と、たとえ結ばれても、
本当の愛には発展しないだろう。
世間を見ても、
たとえ、熱烈な恋愛の結果結ばれても、
簡単に別れたり、
また一方が、死別したりしている。
別れるというのは、
無意識的に、
相手を拒否しているからだ。
とすれば、それがホンマモンの愛であるはずがない。
俺たちは、空気を吸って生きている。
でも、空気は、全く恩着せがましくない。
ひたすら、俺たちに、酸素を提供してくれる。
そう、永遠に、与え続ける愛だ。
だから、俺たちは、空気を拒絶しない。
また拒絶もできない。
つまりホンマモンの恋愛というのは、
「君を好きになった。いい気持ちだ。
ありがとう!」・・・と自然に思える感情なんだろうな。
また先ほど述べた二番目の感情にしても、こう言える。
「自分の愛は、他人の愛とは、違う。
そういう意味で、その人を好きになった時点で、
すでに独占している・・・とも言えると思うんだ」
猫への愛情にしても、
Aという飼い主と、
Bという飼い主の愛情の与え方は違うと思う。
つまり、人を好きになることは、
どう転んでも、自分流にしか愛せないわけで、
その意味で、愛を独占している・・・と言えると思うんだ。
それ以上、もっと独占したいというのは、主として、肉欲のせいであり、
いつも「手軽に」セックスしたいからだろう。
そういうのは、本当の愛じゃない。
そういうニセの愛を、続けていても、
自分が真に幸福になることはないし、
いつか自滅するばかりだ。
人間の愛は、空気のように、
必須のものではない。
ないなら、ないでも生きていける。
恋人がいなくても、一人で生きようと思えば生きられる。
それだけに、本当の愛とは、
相手の愛に感謝し、
此方も、相手の幸福を願い
たとえ、相手が別の人とつきあっていても、
それを許し、
「自分は自分流に、その人を愛しているんだ」
という満足感を感じ続けること・・・
これがホンマモンの愛だと思う。
そして、その人から得られた喜びに対して、
無償の愛を、与え続けることだと思う。
もし相手が困っていれば、無償で、
助け続けることだと思う。
逆に言えば、そういう心境になれたときに初めて、
本当の恋愛のための準備が整ったということだろう。
本当の恋愛のための準備ができれば、
そのうち、素晴らしい愛に巡り合えるだろう。
なぜなら、素晴らしい愛を、心が欲しているからだ。
そしてそのとき初めて、真に幸福になれるわけだ。
むろん、その愛は、永続するだろう。
しかも恋愛によって、
男女愛ばかりでなく、
真の人間愛を知ることができるだろう。
神様も、そのような愛の形式を、最も望んでらっしゃるんだと思う。
もしも真の人間愛が、そこここに見られたら、
もはや、地球上から戦争もなくなるだろう。
これは実に「西川きよし」だ。
つまり「目出たい」ことだ。
あなたは、無償の愛を与える相手を、
持っているだろうか?
あなたは、ひたすら愛を与える相手を、
持っているだろうか?
もし持っていたら、
あなたは、本当に幸福者だ!
俺?
俺は幸い、持っている!
本当の愛とは、
与え続けることなのだ!