母乳コンサルタントの日記

ママさんたちへ、母乳とマッサージ

空襲下の東京見物

2014-03-13 11:00:01 | インポート

 昭和20年3月10日は東京の下町が空襲で焼け野原になった日ですね。当時墨田区の本所に住んでいた叔父の消息なし、の電話を受けて、急きょ70代の祖父に、女学生の私が同行することで、3月20日に上京しました。

 汽車の乗車券が自由に買える時代ではありませんし、最短でも24時間車中です。それでも上野駅には無事に到着しました。見渡す限りの焼け野原は死体はなく、静寂としていました。電車の線路をもくもくと歩きました。祖父が突然立ち止まり、「もう、ここまでにしょう・・・」祖父は息子の死を確認したようでした。 

 電車線路を都内に向かって再度歩きました。日本橋の三越の地下売り場は開業していました。ただし、食料品はありません。それから、東京見物としゃれたのです。 

 丸の内は空襲の被害はなく、防空頭巾を背負ったオフイスレディはモダンにみえました。大きなリックを背負って、煤だらけの私には、驚きでした。皇居を参拝して、山手線で明治神宮に行きました。その時に空襲警報のサイレンが鳴りました。空高くの飛行機を見ました。冷たくなって、ぼそぼそのおにぎりをかみしめました。これから、葉山の親戚宅をめざします。鎌倉の八幡様をお参りして、葉山の親戚宅に夕方着きました。 

 夜明けにB29の編隊が頭上を富士山方面に飛んでいくをみました。次の日はすぐに帰宅です。帰路は48時間かかつて、おにぎりの入ったリックを盗ままれて、さんざんの汽車旅でした。でも私にとって、最初の東京見物でした。幼いころから、東京はあこがれの地でしたから。