朝礼の話題

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たまには喧嘩に負けて来い

2015-09-03 20:17:24 | 21世紀
たまには喧嘩に負けて来い
2015/09/04
 「にわかせんべい」のテレビCMのセリフです。イジメッコがイジメに負けた子に「にわかせんべい」を持って謝りに行くのですが、途中で半分食べてしまい、「ごめん」と言いながら、おまけに付いているお面で顔を隠すものです。 昨日のブログで、イジメは本能的なもので、子供の成長過程では避けられないと書きました。  勝ち負けが決まったら、それで終わり、後に尾を引かないという道徳・習慣を定着させたいですね。
 勝ち続けることは、おごりをもたらし、益々、我を通そうと、争い続けます。戦前の日本はそうだったようです。アメリカ・ロシアも勝ち続けて、自分の我を通し、ベトナム・アフガニスタン・イラク・イランに手を出し、失敗しました。 勝ち続けるイジメッ子は、そのまま成長し、砂川自動車事故で4人を殺したような無謀な行動をし、破滅するのです。
 アメリカは負けても、自国内の戦争でないですから、負けた気もしないのでしょう。どこの国も日本のように、大負けをし、懲りる必要があります。
 たまには喧嘩に負けることが、人間成長に必要と感じます。
 子供の喧嘩も、実力伯仲し、勝つか負けるか分からない状態が必要です。
 実力のない喧嘩に弱い相手を選び、いじめて言うことを聞かせるのは、弱肉強食の社会風潮の反映でしょう。テレビドラマやその他娯楽作品では、それが一般的だとされることが多いです。
 川崎の河川敷で高校生が3人で1人の中学生をカッターナイフで刺し殺した事件がありました。弱い者を多人数で捕え、殺すのは、イジメの範疇を超えた殺人事件です。イジメを繰り返していた人間のおごった末路です。
 兄弟で育って、非力な弟をいじめても、弟が負けて泣けば兄はそれ以上の行動はとらず、逆に「済まなかった」と謝って仲直りでしょう。
 兄弟で育つことはイジメの限度を悟ることになります。近所の親しい遊び仲間を持つこともイジメの限度が分かるでしょう? 
 一人っ子で、他人は敵だと教えられ育った子は、いじめの限度が分からないのではないのではないかと感じます。
 「負けるが勝ち」と言う格言もあります。負けることで学ぶことも沢山あります。負けて、負けて最後に勝ったのは、漢の劉邦です。楚の項羽は勝って、勝って勝ち続けて、最後に四面楚歌で負け自害しました。
 劉邦と項羽が両立し帝国を二分していたら、現在の中国の在り方もちがっていたでしょう?
  両雄 並び立って 平和あり   勝ち続け 最後に自滅 哀れな子