先日、NHKの「クールジャパン」という番組で、クールのテーマに自動車が取り上げられていました。
「クール」とは、格好良いとかスマート・おしゃれを意味するようで、日本のやり方と外国のやり方の違いを挙げて、外国人留学生に「クール」かどうか討議し判定させる番組です。司会のリサ・ステッグマイヤーと鴻上さんの掛け合いが面白いです。
今回の自動車について、「クール」かどうかの現状として①ガソリンスタンドでの窓拭きサービス②洗車スタンドの存在③カー用品専門店の存在④マイカーにマンガのキャラクターなどを大きく描くこと などが取り上げられました。
外人留学生たちは「そんなものクールではない」と言い切ります。
「自動車は移動する道具であり、往ければ良い。飾ったり、洗ったり、アクセサリーつけたりするのは意味ない」とアメリカだけでなくヨーロッパ出身者も言います。
アメリカやヨーロッパの都市と都市をつなぐ道路は、原野の中の直線道路で、景色や雰囲気は何処でも同じで走るのに面白みがないのでしょう。私たち日本人は、エンジン音・乗り心地・スピード感・景色などを楽しいと感じますが、欧米人は途中のプロセスなどどうでもいい、結果のみを重要視するようです。
アメリカの映画では、カーチェイス・カークラッシュが呼び物となっていて、破壊することを楽しんでいます。自動車を大切にする良識はないようです。
日本では、刀で切り殺すチャンバラ映画が多いです。同じように言えば人を殺すことを楽しんでいます。ひとを大切にする良識はありません。
欧米人は狩猟民族であり、馬を交通手段として長く使っていました。奴隷制度もあって人間も道具としていました。
これら道具を使用する考えと自動車を使用する考えは、同じで使い捨てであろうと感じます。
日本では、自動車も道具ですけれど、工芸品であり、美術品の要素を、昔の茶碗や漆塗りの鞍のように含んでいます。
GMの倒産及び救済に、カークラッシュを楽しんでいるような雰囲気を感じます。美術工芸品の製造工場の崩壊を惜しむという気持ちは更々ありません。
GM工場での現代の製造の考えは、T型フォードを大量生産するのと差はないと感じます。
面倒な多品種など目指さず、燃費の改善も、マイナーチェンジも小型化・軽量化も目論まず、決められたものを決められた量だけ造るものぐさ工場は存在出来ない21世紀です。
「GMにとって良いことは、アメリカにとって良いことだ」とアルフレッド・スローン(1960年代のGMの社長)は言っていました。
GMの車が沢山売れれば、部品の社外発注も多く、設備投資も大きくアメリカのために良かったのでしょう。
しかし、売れなくなった車を作っても、誰のためにも良いことではありません。そして大赤字を出して倒産になりました。
私たち製造業の人間が、この倒産から学ぶべきことは、なんだろう?
製品に工芸品的なこだわりを付けくわえ、使用する人が、持つだけで見るだけで満足感を得られるものを作ろう。
結果の製品の仕上がりを優秀なものとするための製造工程にこだわりを持とう。(部品の面取りなど)
破壊の喜びをPRするのは止めよう。
楽しんで製品を作ろう。
労働は苦労でないという心根を持とう。
自動車の製造・利用すべてがクールでありたい。
「クール」とは、格好良いとかスマート・おしゃれを意味するようで、日本のやり方と外国のやり方の違いを挙げて、外国人留学生に「クール」かどうか討議し判定させる番組です。司会のリサ・ステッグマイヤーと鴻上さんの掛け合いが面白いです。
今回の自動車について、「クール」かどうかの現状として①ガソリンスタンドでの窓拭きサービス②洗車スタンドの存在③カー用品専門店の存在④マイカーにマンガのキャラクターなどを大きく描くこと などが取り上げられました。
外人留学生たちは「そんなものクールではない」と言い切ります。
「自動車は移動する道具であり、往ければ良い。飾ったり、洗ったり、アクセサリーつけたりするのは意味ない」とアメリカだけでなくヨーロッパ出身者も言います。
アメリカやヨーロッパの都市と都市をつなぐ道路は、原野の中の直線道路で、景色や雰囲気は何処でも同じで走るのに面白みがないのでしょう。私たち日本人は、エンジン音・乗り心地・スピード感・景色などを楽しいと感じますが、欧米人は途中のプロセスなどどうでもいい、結果のみを重要視するようです。
アメリカの映画では、カーチェイス・カークラッシュが呼び物となっていて、破壊することを楽しんでいます。自動車を大切にする良識はないようです。
日本では、刀で切り殺すチャンバラ映画が多いです。同じように言えば人を殺すことを楽しんでいます。ひとを大切にする良識はありません。
欧米人は狩猟民族であり、馬を交通手段として長く使っていました。奴隷制度もあって人間も道具としていました。
これら道具を使用する考えと自動車を使用する考えは、同じで使い捨てであろうと感じます。
日本では、自動車も道具ですけれど、工芸品であり、美術品の要素を、昔の茶碗や漆塗りの鞍のように含んでいます。
GMの倒産及び救済に、カークラッシュを楽しんでいるような雰囲気を感じます。美術工芸品の製造工場の崩壊を惜しむという気持ちは更々ありません。
GM工場での現代の製造の考えは、T型フォードを大量生産するのと差はないと感じます。
面倒な多品種など目指さず、燃費の改善も、マイナーチェンジも小型化・軽量化も目論まず、決められたものを決められた量だけ造るものぐさ工場は存在出来ない21世紀です。
「GMにとって良いことは、アメリカにとって良いことだ」とアルフレッド・スローン(1960年代のGMの社長)は言っていました。
GMの車が沢山売れれば、部品の社外発注も多く、設備投資も大きくアメリカのために良かったのでしょう。
しかし、売れなくなった車を作っても、誰のためにも良いことではありません。そして大赤字を出して倒産になりました。
私たち製造業の人間が、この倒産から学ぶべきことは、なんだろう?
製品に工芸品的なこだわりを付けくわえ、使用する人が、持つだけで見るだけで満足感を得られるものを作ろう。
結果の製品の仕上がりを優秀なものとするための製造工程にこだわりを持とう。(部品の面取りなど)
破壊の喜びをPRするのは止めよう。
楽しんで製品を作ろう。
労働は苦労でないという心根を持とう。
自動車の製造・利用すべてがクールでありたい。