福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

“鴻臚館(とくに交易)の時代の、仏さまと祈りの世界” なんだか 前より わかった・・かも?!

2014年11月03日 22時51分52秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
1日は 三の丸スクエアに行き、鴻臚館と福岡城のおべんきょうをして。
2日は 九州歴史資料館に行き、奈良時代のかっこうをして。

さすがに疲れたので、今日は お部屋の片づけもかねて、お出かけなしでしたが・・・
いろいろと、参考にする冊子を入れ替えたり、資料を改めて読み直していたら
(パソコンの横が、こーんなことになってます↓仏像率、高し??)

“鴻臚館(とくに交易)の時代の、仏さまと祈りの世界”が なんだか ぐっと理解できるような発見続きになりました

きっかけは、偶然見つけて、とっておいた『市史だより』を久しぶりに てにとったことからで。


手元に残していたのは、736年の遣新羅使が“韓泊(唐泊に比定、とあり)”で歌を詠んだという説明があったからで、
その時は、小田観音堂の説明には あまり注目していなかったのですが

今日、改めて、よーくよく読むと、つい先日 市博で見た『九州仏』の、“千手観音菩薩立像”のことが載ってる!

おなじく市博の『九州仏』で見た
明治初期の神仏分離以前は、志賀海神社の境内に祀られていた“聖観音菩薩”との
位置関係がわかりやすくなるなーと思った地図もありました。


講演会の話のなかで触れられた、
古代の海上交通の目印となっていた浮嶽のあたりまでふくめた もうすこし広い範囲で、
“鴻臚館(とくに交易)の時代と、仏さまと祈りの世界”について、
一度、ここ最近までに知ったことをイロイロと、一枚の紙に貼るなりして、
きちんと確認してみたいなーと思いました


そうそう、仏像の種類について・・・・
『市史だより』のなかで、小田観音堂の仏像の種類についてふれられているのですが。


そういえば、歴男パパが
「なんだか、千手観音と十一面観音が 印象にすごく残ったんだけど、多いのかなぁ?
 気のせいかなぁ?
 なんか、理由があるのかなぁ??」と言っていて
「そうねー?なんでかなー?」なんて のんきな返事を返していたら

久しぶり『幸せを呼ぶ仏像めぐり 仏さま、神さま キャラクター帳』に目を通してみたところ、

千手観音菩薩の説明で、納得。


十一面観音の説明で、また納得。


海難事故(陸の側での座礁含めて)から護っていただくには、非常に 合った 仏さまだったんですね

もっとしっかり、知ったことを記憶に定着させておかなきゃいけないなぁと心底思いました

でも!!!
なんだか 鴻臚館の交易の時代の 仏さまと祈りの世界が 随分とわかってきて よかったです
その当時の“観音信仰”の特徴についても、確認したほうがいいのかなー??
そういえば、図書館でコピーした本の、本当はメインの内容だったのが“古代の交易と観音信仰”だった本があったような・・・・
時間が経ちすぎないうちに その本を予約して、かりて読んでみたいと思います


ひとまず、明日は・・・
時間がうまく作れたら、在唐新羅商人についての確認とノートまとめを 再開したいと思います
この数日、結局 ノートまとめ作業は 進みませんでした