福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

道とまちと。まちのありのままの歴史と。

2011年02月11日 16時10分17秒 | まちを知るための学び(2010年~2012年) 
節分に 「博多」を ちょっと歩き。
立春に 「福岡」(城跡)を ちょっと歩き。

二日連続で歩いてみると。


やっぱり物理的に・・・・道が違うな、まちなみが違うな、って思いまして。
(ふふっ、天神からの移動、未だに「あれれれ?」ってなるんですよ(^-^;)
もうねぇ・・・大名、やっぱり「??」ゾーンなんだけれど!!!)

もし ベビがうまれて 大きくなってきたら
やっぱり、意識して 「福岡」と「博多」の違いは、話すかもな、って思いました。

そんなわけで、添付は 「どうしてそんな形に 曲がるの?!」と思う、西鉄グランドホテルそばの交差点。
この道のありかたは、藩政「福岡」の歴史があるから・・・なんですっけね?!
うーん、でも ふしぎな みちの作りが この写真じゃつたわらないなー。残念。



でも、「博多」と「福岡」があることが、ブツッと 完全に まちを 妙な感じで 二分してしまってないのは・・・・・・「天神」のおかげなんかもだなぁっても思いました。


「天神」が あるからこそ・・・・
まずは、ホント、いろ~~~んな時代に「商都」であり
その時代なりに「おおきなまち」としての歴史がある
ありのままの、
このまちの「商都」としての 在り方そのもの?が、
20年前、ううん、地下街オープンの35年前、いやいや、終戦後、新天町復興のころから・・・・
ううん、そのまえからかぁ・・・・
いろんな時代に、ちゃぁんと 在りつづけることが出来たんだなぁ、と思って。

なんというか・・・・時代にあった、商都の顔となる天神があったからこそ、
いろんな時代の文化背景を持つ、福岡と博多の道の違いやその空気感、気の違いが
さりげなく でも ありありと それぞれに 存在できたのかもなぁ・・と。


「お買いものスポット」としての「天神」・・・・って意識が強かったけれど
うーん、うまく表現できないけれど・・「繋ぎ手」としての「天神」の役目って 大きいのかもなぁ・・・って。
人と人とか 場所と人、場所と場所を うまくつなげる 時代の先端でもあり、うーん・・・緩衝剤??にもなりえる場所って そうそうないですよね・・・。


あっ、私は行ったことないけど・・中洲の場の力も、見逃せないのかも・・ですね~。
人と人とを 繋ぐ場所としての・・・・



うーん。書くとなると、やっぱり、どーっかうまく書けないんだけど(^-^;)。


「博多」があって、「福岡」があって・・そのあいだにある「中洲」と「天神」が・・いいぐあいで二つの場所を取り持ち、
その上、それぞれ、独立して輝いてもいる・・っていうのって、すごいことなんだな、って思ったのです。




明日は ちょっと 天神を まちあるきの予定。
明日のまちあるきで、私はなにを感じるのでしょう?
天気はちょっと不安ですが・・(^-^;)、楽しい時間になるといいな。

そんな日のまえに、ここ数日の気づきをまとめてみました(^-^;)。


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