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2010年月日配信
記事の紹介です。
高橋大輔が銅メダル フィギュア男子で日本史上初
2010年2月20日 紙面から
表彰式でメダルを手に笑顔を見せる高橋大輔=パシフィックコロシアム
◇バンクーバー五輪<第7日>
高橋大輔(23)=関大大学院=が、日本男子フィギュア初となる銅メダルを獲得した。華麗な表現力が評価され、下位の猛追を退けてSPの順位を守った。金メダルはSP2位のライサチェク(24)=米国=で、五輪2連覇を狙ったSP1位のプルシェンコ(27)=ロシア=は銀。織田信成(22)=関大=は7位、小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=は8位だった。
ブロンズのメダルを首に下げ、星条旗の隣にゆっくり掲げられる日の丸が涙でぼやけた。高橋がフィギュア日本男子の歴史に1ページを刻んだ。
「アメリカ国歌が流れたんですけど、日の丸を見るとうれしくてちょっと涙が出てきた」
果敢に挑んだ冒頭の4回転ジャンプは転倒したが、その後は見事に映画「道」の世界を演じきった。ミスも最低限で4位ランビエルの猛追を、0・51点差でしのいだ。
“転ぶこと”から始まった高橋のスケート人生を描いたような試合だった。
「何でもない場所で、とにかくよく転ぶ子でした。一生懸命だったんですね」。そう振り返るのは、8歳でスケートを始めた当時指導した倉敷クラブの佐々木美行監督(53)=小学校教諭。高橋は気が弱く、下校時にクラスメートのランドセルを体の前後に担がされ、泣きべそをかいていたという。
「賞状がほしい。何か運動がしたい」。自分を変えたい一念で発起し、出合った運命の競技。ただ家には高価な用品を買いそろえる余裕はなく、ぶかぶかのスキーウエアに防水スプレーを吹き付けて練習した。「頑張ってジャンプしたら(好物の)鶏の空揚げをつくってあげる」。母・清登さん(60)の言葉に発奮した。
大学1年で出場した05年ユニバーシアード冬季大会では、ジャッジの間で「ヤグディン(ソルトレークシティー五輪金)以来の踊れるダンサー!」と絶賛された。前コーチのニコライ・モロゾフ氏に師事したころから演技が変わったが、原点は小学校で踊った「よさこいソーラン節」。リズムに合わせるセンスがあると先生に褒められ、踊るのが楽しくなった。
一昨年10月末に右ひざ前十字じん帯断裂の大けがを負った。選手生命の危機を乗り越えた強靱(きょうじん)な脚。中盤の見せ場となる、円を描くステップは最高のレベル4。中には最大となるプラス3の出来栄え評価をつけたジャッジもいた。これがジャンプミスをカバーした。
この脚をはぐくんだのは父粂男さん(64)。リンク近くにある約100段の階段を片足で上がらせ、30分連続で往復ランニングさせた。
小6の春、高橋は地元のラジオ番組で「夢はオリンピックです」と、今と変わらないボソッとした口調で照れながら話した。それを実現できたのは、父、母、先生…周囲のあふれるばかりの愛情があればこそだった。
「メダルを取れたことは自信になりましたけど、自分の理想とする演技はできなかったので。これをスタートとして次に向けて頑張りたい」
3月の世界選手権では世界王者に挑む。歴史に名を残した日本男子のエースはメダルを見つめ、飛躍を誓った。
記事の紹介終わりです。