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新藤 義孝の経歴

2010年05月12日 | 政治家

 

 

新藤 義孝(しんどう よしたか、1958年(昭和33年)1月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。総務大臣(第17代)・内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)。

 

 

新藤 義孝(しんどう よしたか、1958年(昭和33年)1月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。総務大臣(第17代)・内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)。

 家族・親族 [編集]
 父:新藤孝衛(映画監督、学校法人川口ふたば幼稚園理事長)
 母:新藤たか子(旧姓・栗林、元女優)
 母方の祖父:栗林忠道(大日本帝国陸軍大将、硫黄島守備司令官)
硫黄島協会 - 栗林忠道の孫という縁で、世話人を務めている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%97%A4%E7%BE%A9%E5%AD%9D


所属する議員連盟 [編集]
 速やかな政策実現を求める有志議員の会
 北京オリンピックを支援する議員の会
 再チャレンジ支援議員連盟
 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
 国家主権と国益を守るために行動する議員連盟
 みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
 日本の領土を守るため行動する議員連盟
 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
 硫黄島問題懇話会

 来歴・人物 [編集]
 
埼玉県川口市出身。川口市立前川小学校、浦和市立岸中学校、明治大学付属中野高等学校を経て明治大学文学部を卒業。川口市役所に勤務した後、1991年(平成3年)の川口市議会議員選挙でトップ当選。
 
1996年(平成8年)、38歳で第41回衆議院議員総選挙に埼玉県第2区から自由民主党公認で出馬。新進党現職の石田勝之に敗れるも、比例南関東ブロックで復活し初当選(当選同期に河野太郎・菅義偉・平沢勝栄・渡辺喜美・大村秀章・河本三郎・桜田義孝・下村博文・下地幹郎・滝実・田村憲久・谷畑孝・戸井田徹など)。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、新進党解党後改革クラブ幹事長を務めていた石田も与党の一員だったが一本化に失敗し、新藤、石田が共に同一選挙区から出馬。新藤は保守党、石田は公明党から推薦を得ていたが、新藤が埼玉2区で当選した。
 
2001年(平成13年)に総務大臣政務官、2002年(平成14年)に外務大臣政務官にそれぞれ就任した。例外的に夫婦の別姓を実現させる会の活動も行った。第43回衆議院議員総選挙では改革クラブ解党後、民主党に入党した石田に敗れ、比例復活もならず落選した。第44回衆議院議員総選挙では逆に石田に比例復活を許さず当選し、2年ぶりに国政復帰を果たす。安倍改造内閣、福田康夫内閣で経済産業副大臣[1]を務めた。
 
2009年(平成21年)8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に埼玉2区から出馬し、民主党の石田に再度敗北を喫するも、比例南関東ブロックで復活し、4選[2]。総選挙大敗により、山口泰明埼玉県連会長が引責辞任したため、後任の県連会長に就任した。
 
ネットメディア局長在任中、ネットボランティア組織自民党ネットサポーターズクラブ (J-NSC) を立ち上げ、代表に就任した。同局長退任後は後任の平井卓也にJ-NSC代表の座を譲り、自身は事務局長に就任した。また、報道局長として、毎週木曜日に党本部で行われている谷垣禎一総裁の定例記者会見の進行を務めている。
 
2010年(平成22年)9月、自由民主党政務調査会「領土に関する特命委員会」委員長代理に就任。2011年(平成23年)9月には、衆議院決算行政監視委員会委員長に就任。2012年(平成24年)10月22日、安倍晋三新総裁のもと経済産業部会長すなわち自由民主党シャドウ・キャビネット(影の内閣)で経済産業大臣となる[3]。
 
2012年(平成24年)12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では埼玉2区で他候補に比例復活も許さず5選を果たした。12月26日成立の第2次安倍内閣に総務大臣として初入閣。


政策 [編集]
 
領土問題への取り組み [編集]
 
党の領土に関する特命委員会委員長代理として、また議員個人として領土問題や主権問題、国家の名誉に関わる問題などに積極的に取り組んでいる。
 2010年(平成22年)3月26日と4月14日に衆議院外務委員会にて、竹島問題に対して、再三岡田克也外務大臣に問い質した[4][5]。4月22日には衆議院本会議に於いて、鳩山由紀夫内閣総理大臣(当時)に政府の見解を問い質している[6]。
 2011年(平成23年)8月1日、稲田朋美衆議院議員・佐藤正久参議院議員と共に韓国の鬱陵島へ向かおうとして、金浦空港で韓国当局から出入国管理法第11条(「国益・公共の安全が侵害される恐れがある場合」)に基づき入国拒否処分となる。「処分は納得出来ない」として9時間空港に居座ったが、退去強制を受け結局帰国した[7]。
 2011年(平成23年)12月9・10日、領土に関する特命委員会として北村誠吾衆議院議員、佐藤正久参議院議員(後から合流)と長崎県五島市訪問。11月に発生した中国漁船違法操業事件について海上保安庁・漁業関係者より現状説明を受ける。波況により男女群島・肥前鳥島視察は断念。五島市役所で記者会見[8]。
 2011年(平成23年)12月26日、所属する超党派の議員連盟日本の領土を守るため行動する議員連盟メンバー10人と共に、11月に発生した周辺海域で中国漁船による領海侵犯を受け、男女群島と肥前鳥島を上空から視察した[9]。
 2012年(平成24年)1月21日には民主党の向山好一衆議院議員と共に漁船で尖閣諸島付近の海域を視察[10][11]。尖閣諸島海域で漁業活動を企画したインターネット放送チャンネル桜社長水島総の誘いを受けての参加で、洋上視察と漁業活動を行った[12]。
 2012年(平成24年)4月27日、尖閣諸島の東京都による購入を表明した石原慎太郎都知事が自民党本部を訪問した際、石原伸晃幹事長及び小野寺五典外交部長と共に領土に関する特命委員会代表として会談。自民党が既に尖閣諸島有人利用や上陸調査決議を行った旨などを説明した[13]。その後も雑誌で尖閣問題を石原都知事と対談するなど[14]、将来的な尖閣諸島の国所有を目指し、緊密な連携を図っている。
 2012年(平成24年)5月17日、領土に関する特命委員会によって決議された、韓国系米国人団体が米国ニュージャージー州に設置した慰安婦石碑の撤去と、諸外国へ正しい理解を与える外交努力を求める決議文を民主党政府・官邸に手交。ぶら下がり会見を実施[15]。
 2012年(平成24年)6月11日、委員長を務める衆議院決算行政監視委員会が尖閣諸島保全問題のため、石原都知事、中山義隆石垣市長らの参考人招致を実現[16]。
 2012年(平成24年)7月28日、国境離島視察一環として、長崎県五島市が行った男女群島・肥前鳥島視察ツアーに参加[17]。海上保安庁案内のもと女島に上陸。女島灯台保守管理について海保職員から説明を受けた。男島では海難者慰霊のため献花。また肥前鳥島に上陸。どちらの上陸も国会議員で初[18]。
 2012年(平成24年)8月18・19日、超党派「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の国会議員8名や地方議員、保守系市民団体「頑張れ日本!全国行動委員会」、地元漁民ら約150人と共に尖閣諸島を洋上視察。集団漁業活動及び尖閣諸島戦時遭難事件洋上慰霊を行った[19][20]。

 

 

 


その他 [編集]
 女性宮家創設に反対[21]。
 日本の核武装については、検討すべきでないとしている[21]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%9E%97%E5%BF%A0%E9%81%93

 

 

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