我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

結城一平  ドイツ銀行と自由主義 その2

2009年07月25日 | 経済

 

 『自民党の歴史(11)橋本構造改革の挫折』
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20060615A/index3.htm

上記サイトは、この日銀法改正当時の政治情勢がコンパクトにまとめられています。
政治がドタバタ劇を演じている裏側では、日本の経済の要の日銀法の改正が進められ、銀行再編の、『自由経済至上主義』的な策謀は、金融行政の内堀を埋めることに成功していたのでしょう。本来の意味での銀行の自由競争を担保するには、適正規模でまた適正な数の銀行が無ければ、自由な競争は阻害されてしまいます。住専問題をきっかけに日本金融は不良債権をどうするという、問題のすり替えで攻撃され続けました。外資に売り飛ばされた名門銀行から盗んだお金が原資なのでしょうか、外資系の保険業界そして、半島系といわれる消費者金融などが、マスコミに頻繁に広告を載せるようになりました。これらの新しい勢力は、マスコミの論調を支配しました。

小泉元総理の時代になると、『我が闘争』と同じような手法で、『構造改革』、『郵政民営化』、『官から民へ』などと単純なフレーズが連呼されました。

『シオンの議定書』という歴史的な文献があります。真偽は定かではありませんが、興味深い文献です。その中にこんな章もあります。

m(_ _)m引用始めます。

今日においては、自由主義的権力に代わって金力が支配する。かっては信仰が支配した時代があった。自由主義の理想が実現することは不可能である。なぜなら、誰一人としてほどよい使い方を知らないゆえに。

 人民大衆を無秩序な群集に一変させるには、かれらに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬間から尖鋭な共食い闘争が勃発し、やがては社会闘争にまで発展し、遂にはその真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、その権力は一山の灰燼に帰するであろう。

 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるにせよ、どのみちその国は回復できず没落するほかはない。その時こそ、我らの出番である。完全に我々の手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なく彼らはそれに縋(すが)りつかなければならない。拒めば底に沈むのである。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを悪辣、不道徳であると評するならば、私はこれに対して次の問いを投げ返したい。どの国も内敵外敵両面の敵をもっている。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会秩序の紊乱者、安寧の妨害者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳且つ許しがたいと云われなければならないのか? と。

<(_ _)> 引用終わります。

サイトはたくさんありますが、前述の文章は『れんだいこ』さんよりお借りしました。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco_honbun.htm



 

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