舞台は<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="45:宮崎県宮崎市;" Address="宮崎市">宮崎市</st1:MSNCTYST>から<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="45:宮崎県日南市;" Address="日南市">日南市</st1:MSNCTYST>に移ります。十月一日 曇り午后は雨としるします。雨を恐れますが、滞留は財布事情がゆるさず九時から十一時まで行乞、一里半ほどの内海まで歩き着いたのが一時。二時間ばかりの行乞のあと雨が予想通り降り出し、教えられていた家を訪ね一泊を頼みますが埒があきません。業を煮やした山頭火は「田舎物はyesnoを判然言わない」と毒づきます。それで濡れて歩くこと一里半といいますから行脚も楽ではありません。しかし安宿は満員で、教えられて田浦という家に泊めてもらいます。この家は近く宿を始めるらしいのですが、投げ込みのせいか(飛び入りのことか)相場より木賃が大分割り高と不平です。気が滅入るので藷焼酎を三杯飲んでぐっすりと寝込みます。どうやらこの家風呂がないらしく、「…風呂のないのは寂しくもあり嫌でもある、私は思う、日本人には入浴ほど安価な享楽はない。…」<o:p></o:p>
朝夕の涼しさを嬉しがりながら、日中の暑さには閉口しています。そして食べ物に言及して、新漬け、菜漬けの美味しさをあげ、漬物の美味しさを知ったのは四十からといい、日本人として漬物と味噌汁、豆腐の美味さを味わえないのは何という不幸だろうと大上段に構えています。<o:p></o:p>
そのあと行乞に歩く日々に思いついたこととして次のように語ります。「…汽車があるのに、自動車があるのに、歩くのは、しかも草鞋をはいて歩くのは、何といふ時代おくれの不経済な骨折りだらう(事実、今日の道を自動車と自転車とは時々通つたが、歩く人には殆んど逢はなかつた)、然り而して、その馬鹿らしさを敢て行ふところに、悧巧でない私の存在理由があるのだ。」と誇らしげにも聞こえて参ります。そして直ぐに自動車は埃を接待してくれるが、摂取不捨の僧の身では法衣に浴びせかけられた泥に向かっても、合掌しなければならぬと可愛気なところを覗かします。<o:p></o:p>
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泊めてくれない村のしぐれを歩く<o:p></o:p>
こころつかれて山が海がうつくしすぎる<o:p></o:p>
岩のあひだにも畠があつて南瓜咲いてる<o:p></o:p>
波音の稲がよう熟れてゐる
山頭火の没年が今の僕に極めて近く、そのことがなんとも言えない気持ちにさせる一因か…と気付きました。
お早うございます。
そうですか。
身につまされるといったところでしょうか。
あたしの場合、酒一点に絞ってなんとも言えぬ気持ちです。
秋頃 一里半約6キロ 雨の中キツイですね。服も濡れて冷たいです。
今日は。
まさに女山頭火です。
あたしも余り温泉はそれほど好きなほうではありません。夕食前に汗流しに入るぐらいです。
す。
狐一匹 村の中を歩く
かもめ一羽 電信柱の上にいる
運転手だけの 路線バスが走る
友人宅で飲み、魚をいただいて、手にぶら下げて夜道を帰るさまは、私も椴法華村の山頭火です。
今日は。
まさしく山頭火です。
あたしは水戸の山頭火もどき、未だにしゃばっ氣プンプンです。