中学生の焼け跡彷徨、なんて格好つけすぎですが 2006-12-10記
疎開からかえったあたしは両親と兄と四人、焼け残った裏長屋は二階の六畳で、いかなる日々を過ごしていたのだろうか。父と母はそれぞれ違う食堂へ通い、兄はすでに学徒動員を解かれていたが、勉学にもどらず巷をふらふらしていた。たまに戻れば手製の煙草巻きをはじめる、鉛筆に紙を巻きつけたものの上に、はしに糊をぬった煙草紙を置いて、刻み煙草をまくのである。そしてふらふらっと消える。
後に簡易煙草巻き器なるものが煙草紙とともに露天にならんだが、当初は紙には苦労したらしい。家では兄がもっぱらコンサイスの英和辞典の紙を使っていた。神田の古書街でいち早く開店した店や露天で、コンサイスの英和辞典が飛ぶように売れたという。それも半ば煙草紙として買われたらしいのである。
父は後年酒の配給が途絶えても苦にならなかったが、煙草の切れるのは辛かったといっていた。農家から仕入れてきた煙草の葉っぱに、砂糖水ならぬ、人工甘味料のサッカリンを溶かした水をふきかけ、刻んでそれを巻き吸っていた。ときには乾燥させたトウモロコシの毛を代用に吸ったりしていたものである。
あたしはなにをしていたのだろう。学校は転校したばかりで友だちもまだ出来ず、勉強に身が入らなかったことは事実だった。学校から帰れば当然だれもおらず、家主と顔を合わせるのも億劫だから、自然と足は駅へ向かう。
よく浅草へ行った。上野から地下鉄で田原町、または都電で向島か柳島行きに乗ってこれも田原町下車。六区はそこからすぐだ。
先ずは映画だ、大勝館が焼け残っていて、そこでターザン映画をよく観たものである。三階席まで超満員、一度三階で恐ろしい目にあっている。通路にいたのだが、だんだん押されて前へ前へと体を運ばれ通路の端、体がのめって下に落ちそうになる。前に柵がない、取り払われているのである。戦時中に金物の強制供出で、おそらく真鍮だった柵は献納されてそのままだったのだ。幸い後ろの大人があたしを抱え、ここに子供いるんだ、押すんじゃねえと怒鳴ってくれて、事なきを得たのだが、休憩になり席を得ると入れ替えがなかったので丸一回ゆっくり観た。大抵二回は観た。
時には六区をぶらぶらする。映画館通りのはずれに露天が並び、売人が声を枯らす。食べ物やの前は黒山の人だかりである。シチューをドラム缶のような円筒の鍋で煮立て、丼に盛って売る店がすごい繁盛で、あとできくところによると、進駐軍の残飯をあれこれミックスしてシチュー仕立てにしたもだそうである。日本でも明治時代、貧民相手に飲食店の残り物を、残飯やの看板で売る店があったというが、戦いに敗れ多くの日本人が貧民になりさがってしまったのである。誰一人として望んだわけでもないのに。
そんなシチューにコンドームが混入してたなんて話も聞いたりした。これを世の末といわないで、なんというのだろうか。
かえりのホームの端には、頑丈な材木の黄色く塗られた柵があって、そこには進駐軍専用車両が停まる。時たまいかめしい、白いヘルメットをかぶったMPが警備している。あるとき満員のホームで、乗客の一人をMPが、ヘッイッといって引きずりだした。復員兵らしかった。MPは彼の軍帽を取り上げ、星のマークをひきちぎった。そのときあたしは、子供心にもなにをそこまでとおもったりしたものである。
有楽町の駅前ではこんな光景もみた。アメリカ兵から煙草を二三個買った男に一人の男が掴みかかり、なにごとか大声でなじり、煙草をひきちぎり投げ捨てふみにじっていた。集まった人たちはどちらを是とし非としたのだろうか。あたしはここでも、なにもそこまでと、買った男に同情したものである。
銀座通りに足をのばしたこともある。まだまだビルの残骸はあちこち、しかしさすが銀座である、けっこうな人出である。アメリカ兵も数多く行き来している。初めて間近でみたときは顔が赤いのには驚いた、鬼畜米英ではないがまさに赤鬼の形相である。しかし恐怖感はない、が、つばの大きな帽子をかぶったオーストラリア兵はなぜか怖かった。腰にナイフをぶら下げたりしていた。
アメリカ兵は赤道直下から灼熱の下転戦してきたので日焼けしていたのであろう。そして既に銃なぞ携帯しておらず、丸腰で露天にしゃがみこんで、ハウマッチなんていっていた。相手のおそらくプロの商売人ではない人たちが、彼らと堂々と渡り合っているのは驚きであった。露天といっても地べたに茣蓙を敷いたり、直接地べたに品物を並べている。
なにを売っていたか覚えがないが、おそらく焼け残りの人たちが、家にある外人好みの品物を、人伝てにきいたりして売っていたものと想像する。現に家にぶらぶらしてた兄は、長屋の人たちの家からときたまガラクタを集めていた。それは不揃いなお雛様であったり、神棚のお社、飾りっぱなしのおとり様の熊手、ときには仏壇、位牌ともろもろである。娘のおたいこ帯、派手な柄の着物、もちろん七五三の晴れ着。兄はあたしにとくとくと語ったことがあるのだ。尿瓶も売ってやったことがあるとも言っていた。
服部時計店の四つ角にはMPが鮮やかな身振り手振りで交通整理をしていて、飽かずに見ていたものである。
銀座にはもう何年も縁のない生活を送っております。負け惜しみでなく、行く気は起きません。
ロープを一時的に張るのですか、驚きました。
妨害トラックバック、「受け付けない」にしてあるのですがね。
ワニワニ!
猫良かったね~~~
MPって、良く映画にも出てくるけど!
Pはポリスなんだろうけど、、
Mの意味知ってますか???
でわ!
帰りま~~~す!
寒いから暖かくしましょうね!!
じゃ!!
ワニワニ!!
お早う御座います。
Mはいまさらですが、ミリタリーの頭文字で軍隊のことでしょうね。MPが陸軍の憲兵で、SPが海軍の憲兵と理解しています。
有難うございます。
わが家は水戸駅からバスで30分ほどす。おかげさまで天変地異にはいつも逃れています。