風太郎氏浅草へ足を伸ばします<o:p></o:p>
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……彼は子供の持っていた日常英会話の紙(藁紙に謄写版で刷って一枚五円で今売っているもの)をとりあげて見ていた。<o:p></o:p>
午後高須さんと浅草にゆく。<o:p></o:p>
地下鉄のフォームにも群衆充満し、この焼野原のどこにこれだけの人間が住んでいるのだろうと奇怪なほどである。静かな飯田から帰ったせいか、神経繊維をタワシでこすられているような気がする。<o:p></o:p>
浅草。地下から上がって行って歩道に出ると、青い大空、白く満ち渡った日光。そして焼け広がる浅草の風景の中に、芋を洗うように雑踏している何万の大群衆。<o:p></o:p>
仲店もむろん焼けているが、建物がコンクリートだったせいか、輪郭だけは残り、落ちた瓦や朱の剥げた壁の下に、人相の悪い男や女が品物をならべてさけんでいる。<o:p></o:p>
「さあ遠慮なく手にとってごらん。誰にもいい土産になる。田舎に持っていったら悦ばれること受け合いだよ!」<o:p></o:p>
「日用品、ホントの、ホンモノの日用品!」<o:p></o:p>
「本革で四十円、東京のどこにも、これだけのものを四十円で売っているところはないよ!」<o:p></o:p>
それにどよめく大群衆の騒音。にぎやかさ、などという形容では追いつかない。肩々相摩すといいたいが、前にも後ろにも自由に歩けず、この人間の洪水に入ったら、ただその一滴となってのろのろと動いてゆくよりほかない。日にかがやいててらてらひかる何万人かの顔はことごとく歯をむき出しているが、希望の色は見えぬ。ところどころ電信柱のようにアメリカ兵の首がつき出している。<o:p></o:p>
食物以外は、何でもないものはないと思われるほどだ。むしろに並べられた品物は少ないが、見たところ最近作られたものではなく、よく戦争中こんなものを作り、貯えてあったものだと思う。値段は公然たる「国民公定価格」である。鍋四十円、バケツ三十円、革帯四十円、歯ブラシ二円、といった調子である。その他フライパン、鞄、庖丁、鋸、お茶入れのブリキの筒、これも一個七円。<o:p></o:p>
群衆の洪水の中をアメリカ兵が二人歩いていた。傍を歩いていた若者がそのお尻をつつく。アメリカ兵がふり返ると、青年は十円札三枚をつき出している。碧い眼は一応群衆の頭越しに見回して、それからポケットからキャメルを出して金を受け取った。進駐軍との煙草の売買は禁じられているので、M・Pや警官のいないことをたしかめて、兵士と民衆はこうしてウマくやっているのである。<o:p></o:p>
現在煙草の配給は一日三本である。どう工夫しても、十日や十五日は強制的禁煙となってしまう。<o:p></o:p>
仲店の裏で、茶色の髪をした少年みたいなアメリカ兵が立って、その周りに群衆が集まっていた。傍で黄銅製の煙管を売っていた男が、<o:p></o:p>
「買うねえ買うねえ、買うからいけねえんだ。こん畜生ののっぽ野郎、ひとの商売を邪魔しやがる。こっちは上がったりだ」と、怒鳴った。<o:p></o:p>
アメリカ兵はあんまり人が集まって来たので不安になったと見えて、スタスタ歩いていってしまった。「……一枚でも三十円でしょ? いっぺんに食べちまうもの、詰まんないわ」と娘があと見送って話しているところを見ると、チョコレートでも売っていたらしい。<o:p></o:p>
小生有楽町駅前で目撃しております。
九月の末頃、銀座通りを散策する米兵は既に皆丸腰でした。ときたまカーボイハット?のオーストラリア兵が短剣を腰に下げたり、カーピン銃を肩にしていました。
しかしそれも僅かで、だれも気にしている風はありませんでした。
いかついMPの姿に安心感をおぼえたりしました。