五月二十五日 二十六日 発熱休養、宿は同前の川棚温泉。<o:p></o:p>
とても動けない、止む得ず休養です。齢は取りたくないものと、しみじ<o:p></o:p>
み思うとさり気なく言いますが、旅に病む心細さは察して余りあります。<o:p></o:p>
病んで三日の間動けなかったと言いますから、はたはさぞかしと心配をし<o:p></o:p>
ますがそこは山頭火、発汗の体で想をめぐらしておりました。動けぬ体は<o:p></o:p>
私にこの地に安住の決心をさせた、世の中や人生の事はどうなるか分から<o:p></o:p>
ない。このことはいわゆる因縁時節の到来かと、いやに現実的になります。<o:p></o:p>
「嬉野と川棚を比べて、前者は温泉に於いて優り、後者は地形に於いて<o:p></o:p>
申分がない、嬉野は視野が広すぎる、川棚は山裾に丘陵をめぐらして、私<o:p></o:p>
の最も好きな風景である、とにかく、私は死場所をここにこしらへよう。<o:p></o:p>
しかしこのこと小生には熱が言わせたことと、本気には取れません。<o:p></o:p>
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翌日は安岡町行乞、下関の岩国屋、行程七里。出発に際し宿代が足りず<o:p></o:p>
に袈裟を預けたと言います。風邪での長居が災いしたのでしょう。しかし<o:p></o:p>
これもあっさりと言ってのけるあたり、旅を日常とする身には自然の事と<o:p></o:p>
聞き流すしかありません。身心鈍重、ようやく夕暮れの下関、世更けて馴<o:p></o:p>
染みの宿に落ち着きます。<o:p></o:p>
翌二十八日船と電車で<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="八幡市" AddressList="26:京都府八幡市;">八幡市</st1:MSNCTYST>の星城子さんを訪問です。安岡町での行乞<o:p></o:p>
で何やかやの費用は賄えたものと思われます。それとも下関の宿に着く前<o:p></o:p>
に久しぶりとかで、俳友を訪ねて歓談しておりますからお布施を頂いたの<o:p></o:p>
かもしれません。彼を評して「君はいつも温かい人だ、逢ふたびに、人格<o:p></o:p>
が磨かれつつあることを感じる。」あとは言いますまい。<o:p></o:p>
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八幡では星城子さんはじめ俳友たちの歓待はたいへんなものでした。<o:p></o:p>
「…歓待は恐縮するほどだつた、先日来の身心不調で、御馳走が食べられ<o:p></o:p>
ないで困つた、好きな酒さへ飲めなかつた、この罰あたりめ! と自分で自<o:p></o:p>
分を憐れんだ。」とあります。葉桜、葉桜、友の情けが身に沁みると語り<o:p></o:p>
ますが、病み上がりの身には感激一入といったところでしょう。<o:p></o:p>
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活きて還つてきた空の飛行機低う (門司埠頭凱旋兵)<o:p></o:p>
かたい手を握りしめる <o:p></o:p>
そこには三頭火の句も紹介されていました。そんなに上手な句ではないが、誰にも負けない、自分はこんなふうに生きる、という強さがある句だといっていました。恐れを知らない魂の強さのようです。
旅に病む、さぞ辛いことでしょうね。そんなときの俳友の力添え、たまんないでしょう。
残念ながら見過ごしました。恐れを知らぬ魂の強さ、ほうとうですね。そしてその根底に人間賛歌や自然への賛歌が波打っています。