平成二十九年二月十九日(日)
ぶろぐ休みました。
平成二十九年二月二十日(月)
我が家の事情で、ぶろぐ今日もお休みします。
平成二十九年二月一八日(土)
予報では陽射しも見られると言っていたが、どんよりとした曇り空はまるで冬。早々に今日はお籠りと決め込んだ。こんな日は外出はせず、といっても出かける予定もなし、朝食昼食の前後はただテレビを見たり、横になったりとまるで無精ったかりそのものと、我ながら呆れかえる体たらくである。
今日から偕楽園の梅まつりが始まり、テレビで大変な人出と報じていたが、この寒さでは願い下げである。我が家の梅はまだまだ見ごろは先である。以前はわれ先にと出かけたものだが、それだけ齢をとったということか、情けないことは情けないと、認めざるを得ない。
平成二十九年二月十七日(金)
朝のうちはぽかぽかとしていい陽気だったが、時たまびゅっーと唸りを上げて風が吹く。これは予報通り午後からは、ひどい風模様になるなと思い、買い物を昼前に済ましてしまおうと、かみさんと二人で、十時に家を出る。まず百円ショップで髭剃り後の化粧水、靴クリーム。かみさんは何か菓子類を籠に入れて清算を済まし、次に金を下ろしスーパー内を一巡して買い物をちょこっとして帰宅する。これで約4千歩、息切れもまずまず、指の痛みも感じずに買い物を終わりホットした半日である。
平成二十九年二月十六日(木)
金正男氏殺害の詳報が、テレビ新聞で続々と報道されている。韓国政府は北朝鮮の首魁の異母兄が、マレーシア国際空港で十三日に殺害されたとほぼ断定し、北朝鮮の工作機関が毒殺したとの見方を示したとある。そして関与の女性二人を逮捕、そして男四人の行方を追っていると報じている。
惨い話である。義兄正男氏の「命乞い」を無視、北の首魁は権力独占の保全から、暗殺手段を指示したとある。権力欲とは昂じれば凄まじいものになるといった、典型的な構図であろう。
日本の国会での与野党の論戦の、あきれ返る構図のがマシかも知れぬ。侘しきやり取りである。
平成二十九年二月十五日(水)
そうは言ってもまだ二月。九時半の予約で歯医者に行ったのだが、朝の所為か頬に当たる空気がまだ冷たく、春遠からずといった陽気ではない。口内炎も完治したし、奥歯の痛みも和らぎ、硬いものも結構噛めるようになった。あと少し通ってくださいと先生は仰るが、今回はもうお仕舞と言われるまで通うつもりでいる。一週間に一度の治療なので何とか全うできるだろう。
平成二十九年二月一四日(火)
昨日皮膚科、明日は歯医者。中の一日今日は燃えるゴミを出す日。早めに下へ降りてまとめてある袋に、新たに出たゴミを加えてかみさんに出してもらう。その間に猫に餌をやり、勝手どころを掃除、カーテンを開け、何かと朝のいっとき忙しい思いをする。そのあと夕べのご飯がかなり残っているので、思い切って炒飯を作ることにした。材料は有り合わせのもので、ウインナーを刻み、ネギ一本それに卵二個。以上をフライパンに投じて油で炒めながら、ご飯を入れて塩胡椒、そして味の素で仕上げる。西洋皿に優に三杯できた。
あたし等で二枚平らげ、孫に弁当に持って行ったらと声をかければラッキーと喜ぶ。これで朝は一段落。今日一日の始まりである。
二階に上がりテレビを点ければ、北朝鮮のミサイル発射で、日米首脳がこぞって北を非難している。米の軍部や議会の一部で先制攻撃を話題にしていると、まこと物騒な気配濃厚な事態である。北の今回のミサイルは精密、そして迎撃の難しいものらしい。大国はそろって核を保持し、北の開発には国連決議とかで制裁に制裁を加えているが、「そりゃ聞こえません伝兵衛さん」で北は聞く耳を持たずに開発を続けている。
それに引き換え、朝から炒飯を作っている我が家の、いや、日本の平和なこと。つくづくそう思う。
平成二十九年二月十三日(月)
かみさんに付き添ってもらって、日赤まで行く。左足の親指は剝がれてから一年経過、あと一歩で再生完了なのだが端のほうが、うまく伸びないというのか再生が遅いのか、爪の先が肉というのか、そこに触って痛むのである。右の親指は深爪をして同じ症状で歩くのに難義なのである。テーピングしてサンダル履きで歩く始末。ようやく痛みが消えてきたので症状を診てもらう為に行ったのだが、爪はまだ切ってはいけないとの診断。まだ爪を伸ばさねばだめということである。改めてテーピングの仕方を教わり診療終わり。
帰りのバスの時間が悪く、水戸まで出て昼を食べてから帰宅する。部屋におさまってほっとする。医者通いがつくづく嫌になった。明後日は歯医者に行かねばならぬ。改めて何の因果かと腹立たしくなる。
平成二十九年二月十二日(日)
昨日夕刻、孫が襖をノックして、顔を覗かせる。にこにこと嬉しそうで、帰宅はひと月ぶりと言う。そして指を見せて婚約指輪と目を輝かせ、恥じらう風。そうか、話はそこまで進んでいるのかと、こちらも面映ゆい。かみさんがおめでとうと手を握る。小さなダイヤがきらりとと光った。孫が去った後、あたし等の結婚当座のことが頭をよぎった。
当時、婚約指輪も結婚指輪も無かった。今だったら非常識もいいところ、たちまち破談といった騒動になっただろう。辛うじて新婚旅行は相手の叔母さんのたっての頼みで、奥伊豆に。写真機も持たず、一帳羅の背広は質屋から受けだす始末だった。汽車も、乗り込んでから三等車から大慌てで特二に乗り換える始末だった。
ふふふっと笑いがこみあげてきた。六十年も昔のことである。
平成二十九年二月十日(金)
昨日夕方には雪は止み、雨に変わった。この雨が積もった雪を洗い流してくれればと念じていたが、朝起きて見れば庭やベランダの雪は綺麗に消えていた。これで娘たちも、出勤に差し支えないだろうとほっとする。昨日は娘は歩いて出勤したそうだ。帰りはさぞ寒かったろうと、腹の中でご苦労と労った。
当地の天気はそこそこ落ち着いたが、西日本九州山陰東北等、大寒波の襲来で大変な事態になっていて、気象予報士が声を大にして対応策を並べている。そんな中、青森のイカ釣り漁船が行方不明といったニュースが入ってきた。関係者の心配はいかばかりか。無地発見救出されることを願うのみだ。
そしてあべさんの渡米、大変な歓迎ぶりだそうだが、果たしていかなる成果が生まれるのか、天気以上に注目、いや心配である。
平成二十九年二月九日(木)
窓を開けて見たら、ベランダも手すりも五センチほど雪が積もり、牡丹雪というのか大粒の雪が舞い降りている。昨日の気象情報で、関西地方が大雪、関東は内陸では雪の恐れと報じていたので、当地水戸は降っても霙程度と断じていたのだが見事に外れ、大分積もりそうな降りっぷりである。
早いうちに雨に変わり、雪を洗い流してくれればいいのだが、そう注文通りにはいかないだろう。雪も降っているうちは風情があっていいのだが、あとがいけない。滑って転んで怪我したり、交通事故の多発、交通手段の乱れとろくなことはない。ニュース番組で水戸市内の降雪が繰り返し放映されている。考えれば、雪と稀勢の里が水戸の寵児となっている。嬉しいことである。