一人娘を嫁に出すということ
娘が高校に進学したころからか、漠然とながら娘に養子をとり、商売を継がせるといったことを頭のどこかに描いていた。このことは商売を営むものにとって、生活の基盤を左右するものであるから当たり前のことと思う。
娘が高校二年になった時点で、娘から大学に進学したいという話があった。高校を卒業して直ぐに社会生活に溶け込んでいく自信がないというのである。大学に入りもっと勉強を続けながら将来の方針を立てたいという。ついては希望する大学に行くのに偏差値に問題があり、苦手の数学を克服したいので、家庭教師を頼んでくれというのである。家庭教師ときいてあたしは瞬間、金持ちのお嬢様でもあるまいし何様のつもりでいるんだと、喉から出かかったが娘の余りに真剣な眼差しに、うむと言って腕を組まざるを得なかった。
考えたら自分も理数系はとんとダメだったのである。ダメなんて生やさしいものではなかった。家内がそばであたしの出方を伺っている。「おかあさんどう思う」あたしは矛先をかみさんに向けてみた。ずるいのである。「勉強したいって言うんだからそれに越したことないじゃない、これからは商売するったって大学ぐらい出てなきゃ」話はそれで決まりである。
「大学へ行ってもなんだな、勉強もいいが先ずは友達をうんと作ることだな、そしてうんと学び、うんと遊んで青春を楽しめ」なんて世間の父親と同じに、途端に物分りのいいとこ見せたりする始末であった。
物分りが良すぎたのかどうか、入学して間もなくサッカーの同好会に入りマネージャーを務め、一年先輩の男と付き合うようになった。あたしはボーイフレンドぐらいに軽く考えていた筈である。家へも何回か連れて遊びに連れてきたりしていた。そんなある日、娘とこんな会話を交わしている。
「○○さん、お父さんのこと言ってたわよ」
「なんて?」
「自分のお父さんと、お父さんを足して二で割ると丁度いい人になるって」
「それってなにかい、お父さんが道楽もんで、自分の親父が堅物ってことかい。生言うんじょないよ、二つに割ったって丁度いい人間なんて出来やしないよ、お父さんの灰汁(あく)のが強くて」
傍でかみさん笑って言ったものである。「世話ないね○子、お父さん自分で道楽もんだってこと認めているよ」
そして月日のたつのは早いもので四年たったその日に、娘がかしこまってあたしたちに告げるのである、○○と結婚したいと。そして追い討ちをかけるように具体的に話を進めるのだ。彼は男兄弟二人で長男である、向こうの両親は是非あたしに嫁に来て欲しい、彼を養子に出すわけにはいかないと言っているというのである。ふん、あたしは白けてしまった。すっかりお膳立ては出来ていて、早い話が出来レースだ。二人で娘の卒業を待って結婚する算段でいたってわけである、相手の親も一緒になって。後はこっちの承諾を待つだけのシナリオが出来上がっているってわけだ。しかしあたしは目に泪を一杯にうかべ俯く娘に、間に入って随分と思い悩んでいたのかと思うと、これまた娘不憫さの気持が募ってくるのだ。あたしは物静かに娘に尋ねていた。お父さんが不承知ならどうすると。娘は消え入るような小さな声で、それでもはっきりと聞き取れる声で言った。「家を出ます」あたしはそんなこと尋ねる前に嫁に出す覚悟は固まっていたので、別段慌てふためくことはなかった。さかんにあたしに目交せしていたかみさんが一膝乗り出し、「そんなことさせないよ、お父さんは承知ですよ」と言う。全くいつも大事な話はこうして決まってしまう、わが家では。
正直言って、そのときそんなに娘が嫁に行ってしまうことに関して、格別悲観はしていなかった。よく世間で言うではないか、男は結婚すると女房の実家のほうに引っ張られ勝ちになると。男のほうも結構女房の実家のほうが居心地が良かったりするのである。自然の成り行きを見ながらあたしは二人をこっちに引っ張るつもりでいた、相手のご両親にはすまないが。これはなにも養子縁組を望んでのことではない。由緒正しき家系でもなんでもないのだから。
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天皇家も同じことですが、男系だけにこだわると窮屈になるのではないでしょうか。
当家の二人の娘の場合は「嫁にやる」感覚は全然なく、「親族が増える」だけのことでした。
偶然ですが、大方の筋書きはうたのすけさんと同じです。一人娘です。違うのは学校卒業してから、暫く伊勢丹に勤めてました。後は自然の成り行きにまかせました。マンション買う時も義理の両親と相談して近くに買いました。さすがこの時は言葉はありませんでした。その代わり金銭の相談はありませんでした。
墓の事ですが、私達は墓守する人がいますので任せています。二人は無くても良いと思ってます。