先日、平和台球場跡地を訪れた際、いろいろなことが思い出された。 高校と大学時代は、「太平洋クラブライオンズ」、「クラウンライターライオンズ」の弱小球団で、球場もガラガラであった。
当時、ラジオでよく試合を聞いていたが、一番、印象に残っているのは、試合の後半、登録していた投手を全て使い切り、しかたがないので、以前投手経験のある野手(名前も忘れた)が急きょ登板し、当然のように打たれた事件である。 ちょっと考えられない事である。
1976年(大学1年生)、年末の宝くじ販売が球場で行われたが、約3万人が押し寄せ、大混乱になり死者まで出している。 現在のようにきちんと並ぶ習慣がなかった頃で機動隊が出動している。 そして何と言っても1978年(大学3年生)の時、また名前だけが変わると思っていたところ、球団が埼玉に移ってしまった時は驚いた。 多くの福岡市民が落胆した。 また、確か中学生の頃だったが、ファンが大暴れし、グランドに乱入、酒の瓶が飛び交い、ガラスは割られるはで選手(ロッテ)が球場から戻れず、機動隊の装甲バスが迎えに来たこともある。 これも、今では考えられない。 よく考えると、昭和は凄い時代だった。
From Face Book: Memory of Heiwadai stadium.