史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

登別

2014年04月20日 | 北海道
 苫小牧から登別に向かう途中、雪は激しくなり、登別温泉周辺でも、あっという間に数センチの積雪があった。この分では翌日は雪に埋もれて自動車が動かせないのではないかと心配になったが、宿の人によればこの時期の雪はすぐに溶けるから心配は要らないという。確かに翌朝、道路にほとんど新雪はなく、自動車の走行にはまったく支障はなかった。

(湯沢神社)


湯沢神社

 翌日はチェックアウトぎりぎりまで部屋でくつろぎ、その後、温泉街を散歩した。
 登別温泉の歴史は古いが、本格的に温泉として開発されたのは、武蔵国の大工、滝本金蔵が登別に移住し、駅逓と漁場を経営していたことに始まる。滝本夫婦が皮膚病にかかり困ったとき、アイヌから温泉の効能を聞いて入浴したところ全快したため、出願して湯守となった。明治になって交通の便もよくなり、湯治客も増えたため、滝本は私財を投じて道路を開削し、宿を増改築し、今日の登別温泉の基礎を築いた。湯沢神社には、滝本金蔵を顕彰する石碑が建立されている。


滝本金蔵翁 栗林五朔翁 頌徳碑

(泉源公園)
 湯沢神社の向い側に、泉源公園がある。泉源公園内には間欠泉があり、約三時間おきに勢いよく熱湯が噴き出す。


泉源公園

 登別温泉街では至るところで鬼とか金棒を見ることができる。どうして鬼が温泉のキャラクターになったのか、その謂われは不明であるが、泉源公園で煮えたぎる泉源を見ていて、何となく鬼を連想するのは、おそらく私だけではあるまい。

(地獄谷)
 登別温泉を訪れた人が必ず観光するという地獄谷を歩いた。周囲は雪で覆われているが、地熱で温められている地獄谷は地肌がむき出しになっている。


地獄谷


薬師如来堂

地獄谷の薬師如来堂は、文久元年(1861)、地獄谷で火薬の原料である硫黄を採取していた南部藩士が、御堂の下から湧いている温泉で眼を洗ったところ、長年患っていた眼病が治ったことから、その御礼に寄進した石碑が祀られている。


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