史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

根室

2015年12月04日 | 北海道
(西浜墓地)


梶原平馬の墓

今回の旅、というか、私の史跡訪問の旅において、現時点で国内最東の史跡が根室である。釧路から距離にして百三十キロ離れており、今回訪問するかどうか迷ったが、なかなかここまで来る機会もないし、天気も良いし、時間もあるし…ということで片道二時間、往復四時間をかけて根室を訪問した。
釧路と根室の間は、ほとんど信号もない一本道であった。ストレスを感じることなく、根室に到着した。
北海道の墓地・霊園はどこもスケールが大きい。西浜墓地もその例外ではない。広い墓地を歩き回ること半時間。ようやく墓地の北東の一画に梶原平馬の墓を発見した。大黒屋平大夫とともにロシアに漂流し、ようやく帰国が叶ったものの、根室の地で没した小市(こいち)の慰霊碑がある。その周辺に梶原平馬らの会津藩士の墓などが集められている。

梶原平馬は、会津藩の幕末の家老で、戊辰戦争や戦後の会津藩の復興に尽した人である。明治維新以降の彼の消息はながらく不明であったが、昭和六十三年(1988)にこの地で墓が発見された。根室女子小学校の校長であった妻・水野貞に従って根室に移り、明治二十二年(1889)にこの地で没したことが判明している。根室の地でどのように過ごしたかは詳らかではないが、失意の日を送っていたのではないか。


旧会津藩士篠田氏之墓


小市慰霊碑


湯地定堅の墓

この六角形をした特徴的な墓石は、湯地定基の五男、湯地定堅のものである。湯地定基は、明治十五年(1882)から同十九年(1886)の間、根室県令としてこの地に着任したが、この地で生まれた定堅を生後四ヶ月で失っている。なお遺骨は昭和三十二年(1957)、定基の孫が故郷に持ち帰ったため、根室には墓石のみが残されることになった。


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