史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「明治維新人名辞典」  吉川弘文館

2008年09月28日 | 書評
14,000円もする高価な辞典である。流石にその場で購入したものか、いつものように近所の図書館で使わせてもらうか、閉店前の本屋で悩んだが、青山霊園や谷中霊園を散策するたびに図書館通いする手間を考えて、自分の手元に置くことにした。掲載人物は4,000人を超えるが、その数の人生を凝縮したこの書物は重い。辞典として活用することは勿論のこと、時間があれば適当に開いたページで無名の人物の人生を追うのも楽しい。
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「会津藩VS薩摩藩」 星亮一 ベスト新書

2008年09月27日 | 書評
鹿児島に勤務していたときは薩摩藩に肩入れし、四国に住んでいたときは土佐藩や長州藩に傾倒した。東京に来てからは幕府側の視点で維新史を見るようになった。そういう中で星亮一氏の著作に出会った。星亮一氏は一貫して会津藩の正当性を主張し、擁護に努めている。会津藩の視点というのは、私にとってとても新鮮であった。
私は会津若松を訪れたことはないが、機会さえあればいつでも大丈夫なように、日頃から研究している。およそ史跡探訪ルートも計画済みである。会津若松探訪への想いは日々募り、星氏の著作も色々読んだが、今回書店で見つけた「会津藩VS薩摩藩」に関して言えば、特に目新しさは感じられなかった。
会津藩は致命的に政治が下手であった。そのことが会津の悲劇の背景にある。薩摩藩と比べると、その下手さ加減が明白である。
当初はともに手を取り合って長州の追い落としに協力した薩摩藩が、いつの間にかその長州と結んで今度は官軍として攻め込んできた。まさに昨日の味方が、今日の敵になったのである。会津としては何が起きたかわからないうちに朝敵に陥れられたというのが実感だと思う。薩摩は会津藩の降伏に際して非常に寛容に対処したというが、薩摩にしてみればかつて手を結んだ相手に対し、徹底的にやっつけるのは流石に気が咎めたということだろう。
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城官寺 多紀楽真院の墓

2008年09月23日 | 東京都
東京 上中里に多紀楽真院元堅の墓をアップしました。

多紀一族の墓のある城官寺には、以前も訪れたことはあったが、法名を刻んだたくさん墓石の中から楽真院のものを特定することができず、懸案となっていた。墓には「江戸侍医法印尚薬兼医学教諭茝庭(さいてい)多紀先生墓」と刻まれている。
司馬遼太郎先生の小説「胡蝶の夢」によると、多紀一族はもともと古い医家の家系である丹波氏から出たという。丹波氏は宮廷の医官をつとめ、やがて徳川幕府が将軍の医師団を組織したとき、京都の宮廷医から人選した。その中に楽真院の祖先である元孝がいたという。多紀家からは元徳、桂山といった名医を生んだが、多紀楽真院もその流れを継ぐ幕府奥医師であった。「胡蝶の夢」では「先祖の功業に拠って威張りかえっている」楽真院を実にいやらしく描いているが、貴賤の別なく診療する聖人だったという説もあり、本当はどういう人物だったのか見当がつなかい。ただ「胡蝶の夢」が、悪役楽真院の存在によりとても面白い小説に仕上がっているのも事実である。
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史跡訪問の楽しみ

2008年09月23日 | 幕末維新史跡訪問
 史跡を巡り始めて何年になろうか。これまで何箇所の史跡を訪ねたか分からないが、ますます史跡を訪れる楽しみは尽きない。
 史跡に触れる楽しみは、史実と空間を共有する喜びに他ならない。後世の我々は、タイム・マシンでも発明されない限り時間を共有することはできないが、同じ空間を共有することは可能である。或いは同じ空間を汗を流して移動することで、先人の体験を共有することも可能である。
 かつて宮崎県の可愛岳という標高727メートルほどの山を登ったことがある。勿論、登山家が好んで挑戦するような山ではなく、歴史に登場することがなければ誰も目を向けないような山である。明治十年の西南戦争で、追い込まれた薩摩軍は闇に紛れて官軍の包囲網を突破した。薩軍の「突囲」と呼ばれる。汗だくになって可愛岳を登りながら、当時の薩軍の進軍に思いを馳せるのは無上の楽しみであった。薩軍は夜間の進行で、官軍に知られないよう、物音も発せず黙々と崖を攀じ登ったことであろう。山を登っているだけで薩軍の息使いが感じられる。これが史跡訪問の醍醐味である。
 史跡を訪問する目的が歴史的事件との接触であれば、歴史上の人物との接触を可能にするのは、その墓を訪ねることである。著名人の墓を参ることを「掃苔」という。歴史上の人物の墓前に立つと、それまで書物の上での登場人物であったその人が急に現実に存在した一個の人間としての現実味を帯びてくるのである。
 私は歴史とともに音楽を好む。特にCD録音よりもFMで放送されるライブ録音が好きである。スタジオで作られる音楽というのは、確かに演奏の良い部分だけを繋ぎ合わせて理想的な音楽を編集することはできるかも知れないが、そういう完璧な音楽を聴いてもあまり感動しないのである。ライブというのは、観客のしわぶきや楽譜をめくる音、時には指揮者のうなり声や雑音も混じるし、勿論ミスやほころびもあるが、それが時に演奏者も予期しない効果を生むことがある。そして何よりも演奏者と聴衆の作る緊迫感、演奏者の熱気が伝わってくる。スタジオで淡々と作られる冷静な音とは全然違う。
 若き日のアバドとポリーニの熱気溢れるブラームスピアノ協奏曲第1番、クレーメルの奏でるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(カデンツァはシュニトケ)の独特の世界、チェリビダッケの雄叫びの聞こえるブルックナーなど、30年以上も音楽を聴いてきても、これぞという名演奏に出遭うことはそう多くはない。それでも飽きもせずに毎日のようにFMのライブ放送をチェックするのは「もしかしたら凄い演奏に出遭えるではないか」という期待感があるからである。
 ライブ録音の臨場感と、史跡を訪ねた時に感じる臨場感は共通するものがある。ものに憑かれたように史跡を訪問し、FM放送を聴くのも根は同じところにあるように思う。

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史跡訪問のすすめ

2008年09月21日 | 幕末維新史跡訪問
HPを見た方から
「ヒマなんじゃないか」
とよく言われるが、自分としてはヒマどころか、時間がなくていつも忙しない思いをしている。休みにテレビの前でゴロゴロして為すことなく過ごしているオジサンと比べればずっと時間が足らない。振り返れば相当な地域を旅し、数多くの史跡を踏破してきたが、まだこれから訪ねたい史跡はヤマほどある。人生の残り時間を考えると、とても休日に惰眠を貪ってなんかいられない。
「いったいいくらお金を使っているんだ」
とも非難される。あまりお金のことは気にしていないが、遠方まで出かけることは滅多にない。普段、関東周辺で活動するときはせいぜい交通費に千円を超える程度である。食べるものには頓着のない方なので、京都だからといって懐石料理をいただくわけではないし、米沢に行っても米沢牛を食すわけでもない。昼食にはコンビニのおにぎりやサンドイッチがあれば十分。一言でいうと史跡訪問中は食べている時間も惜しいのである。
自分にとってはゴルフは全然楽しいと思えない。むしろ苦痛である。そもそも「足が速い」という自分の特性が活かせない。ゴルフのお誘いは断り続けているので、周囲には余程下手なんだろうを思われているようだが、それほど下手というわけではない(自分で言っても説得力はないが…)。決して下手だから嫌いというわけではなくて、ゴルフに費やしている時間と金がもったいないというだけのことである。
楽しくもないゴルフに時間と金を食われるのであれば、その分日帰りでも史跡を見に行った方がずっと楽しい。ゴルフより遥かに知的刺激を受けることもできる。時にはゴルフ以上に汗をかくこともできる。それにゴルフ場のレストランのように理不尽に高い昼食代を押し付けられることもない。健康増進、精神衛生、家庭経済の観点からもゴルフより何倍も優れているように思うのである。
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