(東山墓地公園)
前回こども歴史文化館を訪ねた折、吉田東篁の墓について「「東山墓地公園」に移転したとされるが、その東山墓地公園がどこにあるか分からず、現在墓の行方ははっきりしない。」と記載したが、「東山墓地公園にある」とのご指摘をいただき、今回改めて東篁の墓をアタックすることにした。
東山墓地公園は、かなり広い墓地である。東篁の墓を探し当てるのは相当な困難が予想されたが、意外とあっさり出会うことができた。公園内はいくつか区分があるが、「東光寺墓地」を探すと良い。
吉田東篁の墓
東篁の墓を移転して保存しようという姿勢は評価できるが、実態としては無縁墓地に近い。吉田家の墓石の三分の一程度は倒壊しており、その上東篁の墓のほか数基は表面が剥落して文字を読み取れない状況である。先人の遺蹟の保存にはもう少し注意を払って欲しいものである。
吉田東篁の墓?
(福井市グリフィス記念館)
平成二十七年(2015)十月、福井市内中央町三丁目にグリフィス記念館が開設された。グリフィス記念館は、ウィリアム・エリオット・グリフィスの功績や福井ゆかりの偉人などを紹介する施設。特徴的な和洋折衷の建物は、町の人たちが「異人館」と呼んで親しんだグリフィスの居宅を復元したものである。
グリフィス記念館
グリフィス記念館内部
私がグリフィス記念館を訪問したのは午後五時を過ぎていたので、拝観は諦めていたが、開館時間は午前十時から午後七時まで。余裕で見学ができた。しかも入館無料は嬉しい。
グリフィスが福井藩に招かれて来日したのは明治四年(1871)のことである。以後、十一カ月という短い滞在期間中、福井の科学教育の礎を築き、多くの教え子を育てた。
グリフィスと福井との縁は、来日前、福井藩士日下部太郎との出会いに始まる。ラトガーズ大学に在学していた日下部太郎たち日本人留学生に語学を教えたのが契機となっている。日下部太郎は、基礎的語学力すら覚束ない状況にも関わらず。首席での卒業という信じがたい快挙を成し遂げようとしていた。しかし、その代償として結核に襲われ、二十六歳という若さで客死した。グリフィスは日下部太郎の葬儀にも参列している。
グリフィス記念館に堕涙碑が移設されている。昭和二年(1933)に再来日したグリフィスが日下部太郎の記念碑建立を熱望し、これを受けて昭和五十一年(1976)になって実現されたものである。長らく福井市立図書館にあったが、グリフィス記念館開設に合わせて移設されている。
(菖蒲谷)
福井二日目の最初の訪問地は、福井市市街地から遠く離れた菖蒲谷の杉田定一の生誕地、墓所である。
杉田定一翁顕彰碑
杉田定一は、嘉永四年(1851)、波寄町の大庄屋、杉田仙十郎の長男に生まれた。杉田家は越前地方でも有数の大地主であり、代々社会のために尽くした篤志家でもあった。定一は、幼年時代に三国滝谷寺の住職道雅に、儒教、詩文、書道を学んだ。維新後、上京して新聞社に入社し、自由民権を主張し、同志とともに国会開設の運動に挺身した。第一回総選挙に当選し、以後十回連続当選を果たし、その後は北海道長官や伊藤博文内閣における幹事長などを務めた。明治三十九年(1906)、衆議員議長、明治四十四年(1911)、勅選貴族院議員を歴任。その間、農民のための地租改正に尽くし、郷土の織物工業の発展にも尽力した。また、明治三十三年(1900)から約十年を費やして、九頭竜、足羽、日野の河川改修築堤工事を完工し、越前平野における洪水を一掃した。昭和四年(1929)、七十七歳で没。
顕彰碑の裏手が杉田定一の屋敷跡である。杉田家は江戸時代には大庄屋を務め、宅地、田畑など八十三ヘクタールを持つ大農家でもあった。明治五年(1872)頃には酒造業も営み、酒造十数棟を備えた。仙十郎と定一は、農民救済と国家や郷土発展のために全財産を使い果たしたといわれる。
杉田鶉山生誕地 屋敷跡
杉田仙十郎翁之碑
杉田仙十郎は、定一の父。文政三年(1820)の生まれ。父祖伝来の大庄屋として盛名高く、安政四年(1857)、五月村のために学校を興したことが、百姓の分に過ぎるとして福井藩の忌諱に触れ、役儀を免じられ蟄居を命じられた。配下の二十七ヵ村の庄屋・長百姓連名で彼の清廉なる徳行を訴えて嘆願したが、赦されなかった。仙十郎は、救世済民の志厚く、好学で「常山紀談」「論語」を愛読した。明治元年(1868)、藩主松平茂昭が来宅すると、言を極めて失政を質した。長男定一とともに九頭竜川の改修、国会開設、地租改正などに渾身の力を尽くした。明治二十六年(1893)、年七十四で没。「この父ありてこの子あり」という言葉が相応しい父子である。
杉田家屋敷跡を通り過ぎて、小高い丘を上って行くと、そこに杉田家の墓所がある。正面に定一の墓、その墓の背後に、杉田家の墓、その中央に仙十郎の墓がある。
鶉山杉田定一墓(頭山満書)
鶉山(じゅんざん)は定一の号

杉田家墓所