史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「赤い人」 吉村昭 講談社文庫

2014年04月27日 | 書評
先月、北海道を旅し、月形町まで足を伸ばしたこともあり、吉村昭の「赤い人」を読んでみたいと思った。司馬遼太郎先生は、この本を読んで「数日茫然とした」と評している。
題名の「赤い人」というのは、当時の囚人が全身朱色の囚人服を身にまとっていたことに拠っている。佐賀の乱から西南戦争に至る内乱が続発し、明治十年代の我が国には、監獄が追いつかないくらい国事犯が多数牢に繋がれていた。そこで政府は、彼らを人民から隔離するため北海道に集治監を開くことを決定する。
札幌の街を出て、江別、当別、樺戸と北上すると、見渡す限り平原が広がる。ドライブするにはちょっと退屈な風景であるが、樺戸集治監が開かれた明治十年代、この辺りは手着かずの原生林であった。時の明治政府は、囚人を労働力としてこの未開の原野を開拓しようとしたのである。この単調に続く平野が、実は囚人の血で贖われたものだと知ってしまうと、この風景を見る目が変わってくるだろう。北海道に住む人、北海道を旅行しようという方には、是非読んでいただきたい一冊である。
現代の人権意識を、そのままこの時代に持ち込んで批判することは意味の無いことであるが、それにしても薄い毛布を与えられただけで、手袋も足袋もなく厳冬の地で労働に従事させられるのは、ほぼ死刑宣告を受けたに等しい。実際に、十分な食事も与えられない囚人たちは、凍傷により耳や手足を失い、次々と斃死する。ざっと二割の囚人が命を落としていった。
座して死を待つよりも、一か八か脱走して自由を手に入れようと考えるのも、人間として当然の成り行きであろう。雪解けを待っていたかのように、次から次へと脱走者が出るが、彼らは看守たちの執拗な追捕の網にかかって連れ戻される。その場で抵抗すれば斬殺されるだけである。彼らの命は、虫けらよりも軽い。
現代の刑務所事情は、明治の頃を思えば格段の改善である。暖房完備、栄養の行き届いた食事が供される環境に戻りたくて、出獄後、再び罪を犯す不届者までいるというから、余程居心地が良いのだろう。今さら明治の監獄に戻すというのはあり得ないが、服役を目的とするのであれば、「二度とあの場所に戻りたくない」と思わせるものでなければいけない。
月形町の町名は、初代典獄(署長)月形潔に因んだものである。彼がこの地を集治監の開設場所に選んだこと、そして彼の指導のもと囚人たちの手によりこの地が開拓されたことが、今日の月形町の出発点になったことは間違いない。月形潔はこの地に骨を埋める覚悟であった。典獄として着任する際、戸籍をここに移したという。月形自身も、この過酷な環境下での激務に耐えかね体調を崩し、遂には療養のため集治監を離れることになった。彼自身も樺戸集治監の犠牲者だったのかもしれない。しかし典獄として、あと少しの配慮と熱意があれば、もう少し囚人の命を救うことができたのではないか。虫けらのように死んでいった無名の囚人のことを考えると、手放しで月形潔のことを称揚するのもどうかという気がするのである。
囚人を道路工事や炭山や硫黄鉱山労働に従事させることは、国家の方針でもあった。金子堅太郎は欧米の滞在経験を持つ、当時としては見識のある人物であるが、彼をして「囚人は暴戻の悪徒ゆえに苦役に耐えず斃死すれば国の支出が軽減される」と言わしめているのである。これが当時の政府高官の大方の見解であった。
わずか百年余り前の我が国では、国会の開設や自由民権運動が華やかに展開される裏舞台で、目を覆いたくなるような人権無視の歴史が存在していた。しかも、それが国家の意思として行われていたのである。国家権力の恐ろしさを痛切に感じることができる一冊でもある。


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4 コメント

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読みました (あおとりぃ)
2014-08-03 16:15:34
こんにちわ
「赤い人」読了しました。まさに北海道開拓の裏面史ですね。北海道の地図を広げて、地名を追いながら読んでいました。
道路開削など北海道開拓史が手に取るように分かりました。かつて吉村昭氏の「史実を歩く」(文春新書)を読んだことがありますが、徹底した史実調査を十分実感致しました。
私はこの本の中の山県有朋の「監獄の目的は懲戒にあり」という言葉が印象に残りました。堪え難き労苦を与え、後悔させ、二度とを罪を起こさせないようにするのが監獄の本文であると述べています。
私も、「二度とあの場所に戻りたくない」と思わせるものでなければいけないと思いますよ。
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コメント有り難うございます (植村)
2014-08-03 21:23:05
あおとりぃ様

感想送っていただき、有り難うございます。同感です。
また、推薦本があれば教えてください。
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読み終えました (鳴門舟)
2014-08-08 17:02:18
 私が、まだ20代か30代の時、年上の人から「北海道は犯罪者で出来上がった所だ」と聞いたことがあります。
 私は、疑問に思いながらも、親戚の法事のような場所で、その事を口にしました。即座に反論がありました。
 知識のない私は、口を閉ざすだけでした。
 今回、この本を読んで、私は、その年上の人は、この本のような知識があったのかはわかりませんが、こういう事を、言っていたのだなと、わかりました。
 石狩川、赤い人と続けて読んで、北海道の開拓の様子が、具体的にわかりました。
 本の中に、永倉新八の名前が出てきた時には、ああそんな事も、彼の本に書いてあったなと、彼の本をめくってみたりしました。
 赤い人の中には、石狩川で出てきた人物の名前も出てきますし、網の目のように、スト-リ-がつながりました。
 凄惨な、場面が再々出てきますが、頭の片側では、彼らは、重大な犯罪を犯した人間だから、仕方がない、いやそれでも、悲惨すぎる、と何回も、頭の中で葛藤がありました。
 地図帳を広げて、場所を追ってゆくと、悲惨な環境の中、この広い場所を、よくもまあ開拓したもんだという,感慨に襲われます。
 北海道は、過去に二回旅したことがありますが、今度旅するときは、彼らのことを、頭にしっかり刻みつけて、旅をしたいと思います。
 それにしても、北海道が、ロシアの植民地にされる、危機はなかったのでしょうか。

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有り難うございます (植村)
2014-08-09 00:12:24
鳴門舟様

いつも有り難うございます。
「犯罪者で出来上がった所」というのは、言い過ぎかもしれませんが、囚人が北海道の開拓に大いに貢献したことは事実のようです。
当時の北海道開拓の背後には、ロシアの影があったことは否定できないでしょう。それにしても、その名目の下で凄まじい数の犠牲を伴ったということを、この本は想い起こさせてくれます。
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