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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

函館 神山町

2013年10月20日 | 北海道
(大円寺)


大円寺

 大円寺も、土方歳三の遺体が最初に埋葬されたとされる寺院の一つである。箱館戦争における新政府軍戦死者の墓がある。


旧官修墓地


無縁塚

 大円寺の無縁塚は、五稜郭の築造工事のとき、病気や怪我で死亡した人たちを供養する塚で、碑の裏面には建立された年月日(文久四年甲子春)と「棟梁喜三郎一同」と刻まれている。喜三郎とは、備前の石工井上喜三郎のことで、五稜郭のほか弁天台場などの石造りを担当した。


箱館奉行役宅墓所 杉浦誠の娘の墓

 杉浦誠は、幕府が任命した最後の箱館奉行である。杉浦誠は、文政九年(1826)江戸の生まれ。誠は諱で、雅号を梅潭と称した。壮年時代は武を好み、剣道をよくした。大橋訥庵に文学を学び、横山湖山、大沼枕山に詩を学んだ。文久二年(1862)目付に任じられ、文久三年(1863)新番頭格に転じ、慶応二年(1865)二月、箱館奉行に補された。維新後は静岡藩公議人を経て、明治二年(1868)外務省出仕。ついで開拓権判事として再び函館に勤務することになった。資性温厚、人望もあり、函館支庁において交通商業等の発展に力を尽くした。明治十年(1877)に職を辞したあとは、東京に住んで詩作を楽しんだ。明治三十三年(1900)、七十五歳で死去。
 新潟などの遠国奉行の多くが、戊辰戦争勃発とともに業務を放棄して逃亡したが、杉浦は職務を全うした。幕末を代表する能吏の一人である。

(神山稲荷神社=旧東照宮)


神山稲荷神社


手水石

 五稜郭を占拠した旧幕軍幹部は、そろって東照宮を訪れ、参拝した。
 手水石には、箱館戦争当時の弾痕が残っているという。この手水石の写真を撮り忘れていたことに気付き、途中から引き返した。ところが、どういう事情かしれないが、手水石にはシートがかけられ、念の入ったことにロープで縛られていた。勿論、弾痕は確認できず。

(権現台場跡)


権現台場跡

 権現台場は、四稜郭とともに箱館の北方防御の拠点であった。

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