TSUNODAの経営・経済つれづれ草

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私が関わった街おこし、中心市街活性化、商店街活性化

2007-11-04 17:41:32 | 地域産業
 私が業務で関わった街おこし、中心市街地活性化、商店街活性化について印象に残っているいくつかの思うところを書きます。

1 旧大間々町の街おこしイベント
 現在は、みどり市になった、旧大間々町での街おこしイベントを支援しました。実施年度は、平成7年だったと記憶しています。大間々町の商業者がうどんによる街おこしを企画して、そのためのイベント「うどん打ちコンテスト」の支援をしました。イベントは、年2回開催の企画でした。7月1回、11月1回のイベントでした。5月からイベントの内容の検討会を始めました。メンバーが商業者でしたので、夜8時すぎから大間々町商工会に集まって検討をしていった記憶があります。

 コンセプトは大間々町は自宅でうどん打ってを食べることが根づいている地域なので、庶民性のある「うどん」を街おこしに活用しようとするものでした。大間々町には、星野物産という県内でも知られた麺製造業もあり、大間々町と「うどん」は合っていたように思います。

 7月のイベントは、小平の里で実施しました。ちょうどその日はその地でフォトコンテストが実施される日で、多くに人が集まりました。この時はうどん打ちコンテストは実施せず、うどんをスタッフが打って小平の里の来場者にふるまって、街おこしの活動のPRをするものでした。
 11月のイベントは、大間々駅前の空き地で「うどん打ちコンテスト」を実施しました。応募して参加した10組がうどんを打ってその味で順位を決めるコンテストでした。来場者には時期的にわたらせ渓谷鉄道の観光客も多く、多数の人が集まりました。

 イベントの継続と集客ということで、秩父市のナイトバザールの見学に大間々町の商業者と一緒に行きました。1月だったと思いますが、私がコンタクトを取ってナイトバザールの企画者であったみやのかわ商店街の理事長安田和輔氏を大間々町に呼んで講演会を開催しました。継続の重要性を安田氏は話していました。
 
 翌年度もこのイベントは実施されたのですが、私は他の地域イベントと日が重なったりしてしまい、大間々町のイベントはフォローできませんでした。自分としてもしっかり支援してきたかった街おこしでしたができなかったのが心残りでした。

 その後、財政面等の問題があったのでしょうか、うどんによる街おこしは継続できませんでした。①うどんという庶民性、②うどん打ちコンテストという企画性、③イベント会場がわたらせ渓谷鉄道の出発駅、大間々駅という立地の強み、④企画、運営していた商業者の活力と成功する要素の多かったイベントでした。継続していければものになったのではないかと私は思っています。

2 伊勢崎市の「街かどキャバス」イベント
 このイベントは、平成6年に実施したと記憶しています。商業活性化基金の助成金で企画されたものです。実施者は伊勢崎市の本町共栄会商店街振興組合でした。内容がたいへんユニークでした。伊勢崎市の本町通りの歩道で応募者が横2メートル、縦1メートルのキャンバスに絵を描くイベントです。描かれた絵はイベント後、1ヶ月だったと記憶していましたが、本町の通りに飾られるというものでした。

 私はこのイベントの企画支援の一人として、イベント企画会議に参加させていただきました。夜7時半ごろから、共栄会振興組合の会議室で7,8回イベントの企画準備会議を実施しました。理事長がたいへん実行力、企画力のある方で、このイベントのアイデアを現実のものにした立役者でした。

 10月のイベント当日は、応募した12,3組(程度だったと記憶しています)が、思い思いに街の風景を絵に描いていました。描く人と、それを見る人と街の賑わいが復活したような賑わいでした。その後描いた絵は歩道に固定されて1ヶ月見られました。

 このイベントは、①街を描く舞台とする、②住民参加である、③絵を展示するので一日限りのイベントとならないなどの点でユニークなイベントでした。しかし、財源が活性化基金の助成金ということでこのイベントも継続ができませんでした。活性化基金の助成は、毎年同じ内容のイベント助成金要望は事業の自立とならないということで認めていなかったからです。

 その他、藤岡市中央通り商店街のイベント、松井田町商業者のイベント、尾島町商業者のイベント、桐生本町6丁目商店街のイベント、館林市和菓子商業者の和菓子振興策などの街おこし、中心市街地活性化、商店街活性化に関わりました。

 会議はどれも夜7時すぎからでした。商売が終わってからの会議ですから当然でした。会議はいつも熱気に満ちたものでした。自分達が自主的に企画して実施するからでした。
 街の活性化としてイベントを手段としていたのですが、イベントは一日で終了してしまうものです。個々の店の活性化⇔商店街の活性⇔街の活性化という関連性のあるイベントを商業者の方と企画できればと思っていましたが、現実の状況は厳しいものがありました。

 私が関わったのは平成5年から平成8年の4年間でしたが、それから10年経った現在の中心市街地の状況はほんとうに厳しい状況となっています。業務で活性化支援に携わっていましたが、「なぜ街の活性化が、中心市街地の活性化が求められるか」という根本から考えてみることがなかったような気がします。今考えるとこの根本の答えを出していろいろな実践をすることが必要だったのではないかと思っています。

 その後、中心市街地の活性化ビジョンに関わる機会もありましたが、なぜ活性化が必要なのかという自分なりの回答が今も出せていません。

 http://www.chichibu-cci.or.jp/news/3_30/night.htm
 ↑みやのかわナイトバザールの紹介です