あび卯月☆ぶろぐ

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「気違い」は死語か

2006-04-26 02:04:26 | 言葉・国語
今日、日本文献講読の講義の時に樋口一葉の『にごりえ』を読んだのですが、
その中の一文

顔をあげし時は頬に涙の痕は見ゆれども淋しげの笑みさへ寄せて、
私はその様な貧乏人の娘、気違ひは親ゆづりで折ふし起こるのでござります。


の「気違ひ」を「キヅカイ(気遣い)」と読んだ学生がありました。
「気違ひ」はもちろん「キチガイ」と読むのですが、
この学生、「違」を「遣」と読み間違えたことは明らかなのですが、
その背景には「気違い」という言葉を普段目にしないことがあるのではないでしょうか。

ところで、『にごりえ』は漢字で書くと「濁り江」で一葉が考えていた原題は
『ものぐるひ』と『親ゆづり』でありました。
親ゆづりの血の故に出世を望み、現実の中で狂っていくという主人公「お力」の運命を象徴するものです。
推敲の末、お力の境遇を濁った江に譬えて『にごりえ』にした。
つまり、この太文字の箇所は原題の由縁となった重要な箇所。
是非とも「きちがい」と読んでいただきたかった。
と、まぁ、偉そうなことを書いていますが、読み間違いは誰にもあること、
この学生を責める気は毛頭ありません。

問題は「気違い」がなぜあまり用いられなくなったかということです。

この「気違い」という言葉。テレビではまず聴く事が出来ないでしょう。
なにせ、古い映画を放映する時にでも「気違い」という単語があると音声を消される。
「気違い」がそんなに悪い言葉でしょうか。
私は「馬鹿の最上級という程度」と認識していますが、
差別語だと捉える人も多いようで、現に放送・出版界では一部の例外を除き、
かかる理由により抹殺されています。
しかし、「気違い」は罵倒語であっても差別語ではないと思う。
要は言葉の使い方であって、差別語ではない言葉でも
時と場合によっては酷く他人を傷つけることになりましょう。
罵倒語も駄目というのなら馬鹿や阿保も一掃しては如何でしょうか。

もっと云えば、差別語にしろ抹殺する事には反対です。

こういうと、あび卯月は差別主義者だとかいう方が絶対出てきますが、
私は別に「差別語をどんどん使っていこう」と言っているのではありません。
差別することを目的に無闇に差別語を使う者などはそれこそ「気違い」です。

私が怖いと思うのは特定の言葉を使い方や言い回しニュアンスに関わりなく
問答無用で抹殺されるということです。
特に文学方面においてはどうしても差別語を使用せねばならぬ場合もあるし、
また、その時代にはこういう言葉を使っていたという事実を知る上でも言葉を抹殺してはならないと思います。
前にも述べましたが長年使われてきた言葉を現代の価値や思想で断罪し、
それも一部の人々の思い込みで簡単に変えてしまうことは
言葉が背負ってきた歴史・文化の抹殺に他ならず、
言わば現代人の傲慢であります。

繰り返しますが、テレビはもとより日常生活において
差別語を使うことを推奨しているのではありません。
言葉そのものをこの世から消し去るという行為に反対しているのです。

そもそも、差別語を抹殺することによって差別がなくなるとは到底思えないのです。
本当に差別を無くしたいと思うのであれば、
むしろ、差別語は残しておかねばなりません。
その上で差別の惨酷さを論うべきでしょう。
言葉そのものを消してしまったらそれは単に差別の存在から目を背ける行為に他なりません。

もっとも、最近では支那や三国人の例の如く、
差別語でもなんでも無い言葉まで抹殺されてゆくという時代ではありますが。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして♪ (yun)
2006-04-26 02:11:52
ブログ拝見しました♪ぜひぜひ仲良くしてほしいです♪
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Unknown (あび卯月)
2006-04-26 02:27:53
書き込みありがとうございます。



>ぜひぜひ仲良くしてほしいです♪



えぇ、どうぞ宜しくお願いします(´∀`*)
返信する

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