あび卯月☆ぶろぐ

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ギャルママの夫婦別姓

2010-05-10 23:14:17 | 政治・経済
今週のTVタックルは夫婦別姓の問題を扱っていた。

いま、国会で議論がなされているのは正確には選択的夫婦別姓。
要は民法を改正して、夫婦で別姓にしたければ出来るようにするというもの。
一緒でもいいし、別々でもいい。
だから、頭に「選択的」が附く。

私は基本的に夫婦別姓には反対だ。
夫婦は同じ姓の方がいいと思うし、まして親子で姓が違うというのはかなりの違和感を覚える。
保守派が言う家族の絆がとか、家制度が云々という理由よりも感情的に嫌なのだ。
が、今回議論されているのはあくまでも選択性。
必ず別姓にせよというわけではないので、それならいいのではないかとも思っている。

多くは仕事をしている女性が姓が変わると仕事上で不便をきたすからという要望によるものと、自分の名前を変えたくないというアイデンティティの問題にまつわるもの。
これらの理由は理解できる。
が、一方で仕事上での不都合なら通名を使えばいいのではとも思う。
通名なんて難しいと感じるかも知れないが、在日韓国人なら普通にやっていることだ。

ところで、よく夫婦別姓の問題を論う際に例に出されるのがこの韓国(朝鮮)だ。
御存知のように、韓国では夫婦の姓が異なる。
これを、韓国は男女同権が進んでいる先進的な国だとして紹介するフェミニストその他がおられるが、その理解は全くの間違い。
というのも、韓国において、夫婦の姓が異なるのは女ごときが男と同じ姓を名乗るなどおこがましいという女性蔑視の思想による。

ついでに言うと、韓国には姓はあっても、氏はない。
姓は元来、家の上位である族単位のまとまりを示す概念であり家族単位の名を示す氏とは異なる。
要は日本人が名乗る苗字はあくまでもファミリーネームとしての姓(つまり氏)だが、韓国には今も昔も氏はなく一族単位の姓しかないのだ。

こういう事情を知らない大竹まことが「韓国が夫婦別姓なのは韓国には姓が少ないから、これ以上少なくならないように」ともっともらしいことを言う。
(たしかにそうかもと思える理屈で私も思わず納得していまいそうになった)
すると、三宅久之さんと田嶋陽子女史が声を揃えて「違う、あれは女性蔑視によるものだ」と反論。
ふだん、仲の悪い両人が声をそろえて同じ意見をいうので妙に可笑しかった。

さて、今週のTVタックルにはどういうわけかギャルママが三人ほどゲストとして迎えられていた。
見た目はどうみてもどこのキャバ嬢ですか?と問いたくなるような趣だが、意見が一々マトモでこれもなんだか可笑しかった。

曰く、「子ども手当てなんか要らない。それよりも日本の財政の方が心配」。
「夫婦別姓には違和感がある。旦那の家族・親戚と別姓になると、いろいろ問題があるし、他人のようで距離を感じる」と。
三宅さんも思わず「あなたたちの意見がことのほか健全で日本の未来に希望が持てる」とこぼしていた。

どうみても、辻本清美系のフェミニストに見える厚生省の木村盛世さんも
「かつて自分は夫婦別姓に拘っていたが、今考えると大した問題ではなかった。日本の伝統や文化が崩れている昨今、夫婦別姓を急ぐ必要がどこにあるのか」
とこれまた見かけに拠らない発言。

今週のTVタックルは夫婦別姓の問題より、「人を見かけで判断してはいけない」ということを学べた気がする。

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8 コメント

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さてと (通りすがり)
2010-05-11 12:48:57
私もその番組を見たものですが、ギャルママの発言は、選択制を理解せず、「自分は夫婦別姓にしない」という理由で反対した人が多い気がしました。「自分が強制されるのは嫌だ」というのと「他人にも強制すべきだ」はまったく別の話なのにこれでは論点のすり替えではないかと。

韓国の場合は、一族の家系を記録する「族譜」に女性の名前は載りませんが。これは男中心の社会だったのが原因で、女性の人権が低かったのは事実ですが、実際は族譜や墓に「夫人は金海金氏」という風に本貫と姓だけ記載されます。

ただし族譜は公的なものではないので、戸籍や住民登録などの法的なものとは違います。韓国での議論の多くは父親の姓を強制されることで、夫の暴力で離婚した妻が、別の男と結婚した際、再婚相手の父、母、子供の姓が全部違うことになり、父親と姓が違うことでイジメを受けたなどの理由からです。

それにしても日本人全員が苗字を持つようになったのも100年あまりの歴史しかないわけで、それを伝統云々しながら違いを認めないのはおかしいと思います。三宅さんの発言も最低でしたね。自分の意見と同じだと「健全」で、違う意見だと「不健全」でしょうか。三宅さんの思想の方がよほど不健全だと思いました。
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>通りすがりさんへ (あび卯月)
2010-05-11 21:56:54
コメントありがとうございます。

三宅さんは「頑固じじい」ですから、自らの感覚に基づいて相手の価値観を良いか悪いかを決め付けるのは当り前のことですよ(笑)
私は別段、そのことが良いとも悪いとも言っていません。
いうまでもないことですが、私は一度も自分の意見が絶対に正しいのだから皆もそのようにしろなどと主張したことはありません。
この世に正しいことなぞ何ひとつ無いということが唯一正しいことだと思っています。
その上で私はこう考えるということを書いているだけです。
そういう意味で通りすがりさんのように反論や疑問を持って下されば、それだけで何らかの思惟が生まれたわけで、記事を書いた甲斐があったと密かに喜んでいます。

>それにしても日本人全員が苗字を持つようになったのも100年あまりの歴史しかないわけで、それを伝統云々しながら違いを認めないのはおかしいと思います。

確かに、「全員が」となるとそうなのでしょうが、江戸時代頃から多くの農民も苗字を持ってはいましたよ。
無論、それを踏まえた上でも「伝統だから違いを認めない」ということをおかしいと感じるのは理解できます。
誤解のないように書いておきますが、本文中にもありますように、私は夫婦が基本的に同性であるべきだと考える理由は、伝統云々ではなく、感覚的な問題です。

私のブログは事実関係を書いたもの以外はそれこそ三宅さんのような頑固じじいと同じ感覚で書いていますので、きっと革新的な方にとっては不健全に感じるでしょう。
が、別に読む人に価値観を押し付ける意図はありません。
せいぜい、頑迷固陋な年寄りのタワゴトとして拝見いただければ幸いです。
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姓と氏と名字と (粗忽亭主人)
2010-05-13 19:25:58
わたしは自分を基本的には保守的な人間だと思ってゐるのですが、選擇的夫婦別姓には贊成です。最大の理由は「選擇的」、しかも原則は同姓で、特に望む場合は別姓でもよい、といふ制度設計であるからです。
わたしは他人からなにかを強制されるのが大きらひなので、それとおなじ理由で他人になにか強制するのもきらひです。よって、夫婦であっても同姓を強制されたくない、別姓でゐたい、といふ人には別姓をみとめてもよいだらう、といふ考へです。もちろんおなじ理由で、強制的な夫婦別姓には大反對です。
舊民法では婿養子などの場合をのぞいては、夫の姓になる以外の選擇肢はありませんでした。それが現民法において、夫婦どちらの姓をえらんでもよいことになり、選擇肢がひろがりました。その選擇肢がさらにもう一つふえるのは、わたしにとっては望ましく感じられます。
そもそも日本においては姓(せい、かばね)と氏(し、うじ)と名字(みゃうじ、または苗字、家號とも)は別のものでした。そのうち姓は早い段階で實質的にすたれました。ほとんどが「朝臣」を名乘るやうになって、意味をなさなくなってきたんですね。もちろん小槻氏(宿禰姓)のやうに朝臣以外を名乘りつづけた氏もありますが。
それゆゑ「姓」といふことばは「氏」とおなじ意味でつかはれることが普通になってしまひました。以下、「姓」は「氏」の意味でつかはせていただきます。
さて、夫婦間の同姓別姓問題ですが、岡野友彦著「源氏と日本国王」によると、江戸時代までの日本の夫婦は「別姓同名字」であったとのことです。すなはち姓(氏)は天皇から賜ひ、その子孫が男系原理によって受け繼ぐものなので、結婚によって(本來なら養子縁組によっても)かはるものではない。一方、名字は「家」の名稱としてみづから稱するものであり、結婚(あるいは養子縁組)によってその「家」に入ればその家の名字になる、とのことです(もっとも積極的に名乘るわけではないやうですが)。
ひるがへって明治以降は、姓(氏)が廢止されてしまひました。民法上は「氏」と言ってゐますが、これは歴史的概念では名字に相當するものを「氏」と言ってゐるにすぎません。角度をかへて見れば、姓(氏)が名字に吸收されて、名稱のみ殘った、と言へるかもしれません。それゆゑ日本の傳統は夫婦同姓か別姓かといふのは、たいへん複雜な状況だと言はざるをえないと思ひます。
ここからかんがみるに、「夫婦同姓は日本の傳統だ」と明快に言ひ切ってしまふ「保守派」の人の視線は、明治維新以前には及んでゐないやうに思へてなりません。もっともこの問題にかぎらず、自稱保守派の方々が聲高にとなえる「傳統」なるものは明治以降の産物であることが往々にしてあるやうに感じます。それどころか、昭和の御代になってはじまった風習を傳統と主張してゐる例もままあるやうです。紀元2670年、はともかくとして、漢倭奴國王の時代からでも約2000年、倭の五王の時代からでも1600年からの歴史を誇るわが國の歴史を輕んじてゐる自稱「保守派」は少なくないやうに思ひます。
話がひろがりすぎました。夫婦別姓問題にもどりますが、よく「夫婦別姓を認めると家族のつながりが稀薄になる、家庭が崩潰する」と主張する論者がゐますが、わたしはこれに疑問です。支那や朝鮮は(理由はどうあれ)ずっと夫婦別姓ですが、日本より家族關係が稀薄であるとは思へません。また、モンゴルなど名字のない國(民族)もありますが、だからといって彼らの家族意識が稀薄とは言へないでせう。夫婦(家族)が同姓であるか別姓であるかと、家族のつながりとはまったく別の問題であるとわたしは認識してゐます。さらに暴論を承知で言はせていただければ、別姓にしたぐらゐで崩潰するやうな家族ならさっさと崩潰してしまへばよい、といふのがわたしの考へです。
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>粗忽亭主人さんへ (あび卯月)
2010-05-16 01:36:12
コメントありがたうございます。

日本の姓、氏、名字についての詳しい御解説ありがたうございます。
保守派もフェミニスト(?)も夫婦別姓の問題を論じる時に、そもそも日本における姓とは何なのかといふことが良く解らないまま議論してゐるやうに感じます。
もっとも保革を問はず、彼等に云はせればそんなことどうでもよいそれよりも家族の絆がとか女性の自立が、とかいふんでせうが。
保守派はなにかと伝統を声高に叫びますが、その伝統とやらは主人さんの御指摘のやうに明治以降の伝統である場合が極めて多いですね。
「いや、明治以降からでも伝統は伝統だ」と言はれればぐうの音も出ませんが(笑)
しかし、日本が二千六百年以上の歴史があるといふなら、その二千数百年分も斟酌して欲しいと思ひますね。

夫婦別姓について別の視点から反対論をい述べさせてもらへば、金融関係や保険屋としては、これ非常に困ります。
名字が違へば、夫婦であるとか親子であるとかの確認が非常に煩はしくなるからです。
さういふ意味でも私はなるだけ、別姓にして欲しくないといふのが本音です。
(保守からもフェミからも怒鳴り声が聞こえてきさうな意見ですが)
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初です☆ (今若者)
2010-05-22 23:35:05
別姓になった時、遺産相続とかが面倒になったりしないんですかね?
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>今若者さんへ (あび卯月)
2010-05-24 01:06:03
コメントありがとうございます。

確かに、夫婦を別姓にした場合、遺産相続の手続きはどうなるのでしょうね。
おそらく、関係書類で夫婦と確認できれば特に問題無いのでしょうが、この点は詳しく解りません。
どうも的を得ないお答えですみませんm(__)m
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苗字は統一されているのが望ましい (白田川 一)
2011-07-20 22:08:54
 私ですが夫婦別姓には反対です。
夫婦間では苗字を統一しているのがいいものがあり、男性でも希望あれば妻の元来の苗字に合わせての苗字変更も可能であることからすれば大して意味などありません。日本では古くから「婿養子」の制度があり、家父長制が排斥となったこんにちでもその伝統は続いています。

 家督制度も、家父長制に基づかないように改革をしても良かったものがあり、皇室の歴史でも過去に女性の天皇が実在していたことからすれば難しくありません。


 なお、別姓ですがだいぶ昔の武士の時代で、上流階級でのみ通用したものであり、庶民層には元々苗字を名乗れなかったので別姓云々とは無縁でした。よって、別姓そのものは時代錯誤ということになります。
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>白田川一さんへ (あび卯月)
2011-07-25 23:21:30
コメントありがとうございます。
小難しいことを抜きにすれば、感覚的に夫婦別姓は絶対に嫌ですね。
家族間で姓が異なるのは私にとっては相当な違和感があります。
墓の名前もどうするんだと。
伝統云々以前に現在の感覚からして嫌というのが私の意見です。
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