あび卯月☆ぶろぐ

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冥王星と宇宙観と人生観

2006-08-24 22:53:40 | 社会・世相
水金地火木土天海冥・・・
私も小学生の頃だか中学のころに太陽を廻る惑星をこうやって覚えた。
それが、チェコのプラハで開催中の国際天文学連合(IAU)総会で冥王星が惑星ではなくなるかも知れないという。

・・・と、ここまで書いてたった今、テレビで「冥王星は惑星から除外された」との速報が入った(22:38)。

冥王星は惑星から除外されたそうである。
なんでも、近年、冥王星級のセレスやカロン、2003UB313などという小さな惑星が見つかったので
これ以上惑星が増えると各界に混乱を与える為、
いっそのこと冥王星を惑星から除外することになったようだ。
私も(もう決まったが)この案に賛成。
冥王星級の星を惑星と見なすのであれば今後も惑星が増えかねないからだ。

さて、本題。
この冥王星騒動でとある学芸員がテレビのインタビューに対し
「冥王星が惑星ではなくなると宇宙観に影響を及ぼしますし、我々の人生観にも影響があります」
と述べていてた。
私は失礼ながら思わず苦笑してしまった。
というのも、私は宇宙観がどうなろうが
まして、冥王星が惑星であろうがなかろうが
そのことに影響を受けるような人生観など持ち合わせていないからだ。

また、『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦大和』の作者、松本零士さんも
冥王星が惑星ではなくなることに関して「裏切られた思いだ」と述べていた。
やはり、宇宙に思い入れのある人にとっては看過できない問題なのだろうか。

確かに「水金地火木土天海冥」が「水金地火木土天海」になるのはちょっとさみしい気もするが、
やはり人生観には何も影響無い。

古屋兎丸・著『ハピネス』感想

2006-08-24 21:59:27 | 漫画・アニメ
古屋兎丸の『ハピネス』を読んだ。

最近の兎丸は『π パイ』というくだらない漫画も描いていたが、
ハピネスは久々に兎丸の本領発揮といった作品。
「儚い青い季節の物語・8篇を収録」(←帯の解説文より)されている。
所謂、普通の青春物語ではなく変態であったり自殺志願者であったり普通ではない人ばかりが登場する青春物語。
本書の初めの方に収録されている作品は“記号化された”アングラの匂いが漂って楽しくなかったが、
後半の「インディゴエレジィ」や「アングラ☆ドール」は良作だった。

どの短篇も「救いようの無い人」しか登場しない。
「負け組み」なんて生易しいものではなくほとんど壊れていたり、落伍者であったりする。
そういう人々をただ登場させるだけなら誰でも出来るが、
それで終わらないところが兎丸の三流の作家と違うところだ。
救いようのない内容ながらも最後に一輪の花を咲かせている。
そして、一つひとつの作品の世界観や設定が出来合いのものではなくしっかりと創られている。

兎丸の作品を読むときどうしても意識してしまうのがつげ義春だ。
つげ義春は本人の意図しないまま漫画を文学の高さまで昇華させた人として有名だが、果たして兎丸作品は文学なのか。

兎丸は社会不適合者を描かせたら巧いという点でつげ義春に似ているが、作風は随分異なる。
前者はアングラを常に意識して描いているがつげ義春はまったく意識せず自己の体験から自然に紡ぎだされた部分が大きい。
兎丸作品よりつげ作品の方がより深みがあるのはそういった理由からだろう。
兎丸作品が文学的かどうかはここで答えを出さないとしても、
『涼宮ハルヒの憂鬱』を代表とする所謂ライトノベル作品よりは余程文学的であると思う。