すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

老眼鏡

2018-12-06 22:58:26 | 老いを生きる
 眼鏡を作ることにした。
 ぼくは軽度の乱視はあるものの、それに軽度の白内障と、軽度の高眼圧があるものの、いずれも治療を始める段階ではなくて、ただ老眼が進んでいるだけで、今までは100円眼鏡で過ごしていた。度はどんどん強くなっていた。
 もともと目はすごく良くて、学生時代に霧ヶ峰のゴルフ場で住み込みのキャディーのアルバイトをしていた時には、もう日没近くなってから300ヤード先のバンカーをボールが転がるのが見えたほどなのだが、遠視の人ほど老眼の進むのは早いのだそうで、今は+3でも見えにくくなって、不便を感じていた。
 裸眼だと、五線譜の線がランダムな12本程度に見える。二つ玉の簡単な和音が、かすんだナインスぐらいに見える。また、単純な老眼鏡では、焦点の合う範囲が狭すぎて、楽器を弾きながら体を前後に揺するだけで焦点がぼけてしまう。
 以前、オケに入れてもらっていた時に、同じパートを弾いている隣の人が、「楽譜を忘れてしまったから見せたくれないか」というので二人の間に譜面台を置いたら、ぼくには楽譜が全く読めなかった。 
 焦点の合う範囲の広い眼鏡があったら具合がいいだろうなと思っていた。
 100円眼鏡は粗末に作ってあるから、レンズ面が歪んでいたりして、顔を縦や横に動かすと文字が揺れ動くことがある。それにすぐにツルが歪んだりレンズが外れたりして壊れる。
 壊れるのはまあいいが、ゆがんだレンズをかけているのは目に良くはないだろうと、気にもなっていた。
 眼鏡屋さんは、たいへん詳しく検査をしてくれて、用途によるレンズの性質の違いなどをていねいに説明してくれた。焦点の合う範囲が広いということは、けっきょく、上から下まで無段階に緩やかに焦点距離を変えてあるということなのだ。上の方が遠くて、下が近い。
 ぼくは車の運転とかしないので、生活空間の範囲で焦点の合うレンズをもらうことにした。山登りの時にはメガネは地図を見る以外には使わないので、それで十分だ。今のところ、急な下り道の足元は、裸眼で十分見える。乱視も補正してもらった。フレームは、ファッション性とかはどうでもよいので、丈夫かつ柔軟なものにしてもらった。
 100円眼鏡が何百個も買えるお値段がした。
 100円眼鏡は、、なんせ100円なので、いちどにたくさん買ってきて、あちこちに置いておくことができる。常時6~7個ぐらいは使っていて、予備が同じくらいある、という状態だった。
 これからは一つの眼鏡を、一階から三階まで、移動するたびに持ち歩かなければならない。仕方のないことだが、なんて不便なことか!
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