(…)
雷の轟きを聞いた 警告を発していた
波の咆哮を聞いた 世界を吞み込みそうだった
一万人の囁きを聞いた 誰も耳を傾けていなかった
一人が飢えているのを聞いた 大勢がそれを笑っていた
詩人が歌うのを聞いた 彼は排水溝で死んだ
(…)
そして激しい 激しい 激しい 激しい
激しい雨が降ろうとしている
(…)
ぼくはそれを話し 考え 告げ 呼吸しよう
山にこだまさせ すべての魂に届けよう
沈み始めるまで渚に立とう
そして激しい~ (以下略)
(私の詞華集37 ボブ・ディラン「激しい雨が降ろうとしている」)
いつも年頭などの季節のご挨拶には「私の詞華集」として詩(またはその一部)を紹介しています。今年はご挨拶自体をしなかったので、遅ればせながら詩の方だけを掲げておきます。念頭には比較的明るめのを、と心がけているのだけれど、「おめでたい」気分には程遠いので、今年はどうしてもこれを載せたいです。
コロナは間もなく乗り越えられるだろう。もう一回か二回、大混乱がやって来ても、やがて遠からず、インフルエンザと同じようなものになるに違いない。でも、ぼくたちがもっと大きなアポリアに、解決の糸口のない数々の難問に直面していることも、間違いない。地球温暖化と資本主義の行き詰まり、この二つに伴う諸問題(水害、日照り、食糧難、貧困、格差の拡大、紛争、難民…挙げればきりがない。それどころか、現代社会は崩壊の危機に瀕している、あるいは、崩壊の過程はすでに始まっている。
ぼくは未来を予測できない。まして明るい未来は。ぼくの子孫たちの時代はどうなるだろう?(ぼくには直接の子孫はいないが。)
ぼくはいま、世界人口70数億人の中でずいぶん恵まれた方にいると思うが、これは数々の矛盾の上に成り立っている。そのことに倫理的な疑問を感じないではいられないが、だからと言って問題を解決するにはどうすればよいのかはわからない。
せめて、とりあえず、しっかり目を開けていよう。耳を傾けよう。危機に直面していることを意識していよう。そして、それを話し、考え、告げ、呼吸しよう。沈み始めるまで渚に立つ覚悟をしよう。
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