すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ウクライナ

2022-03-09 20:22:03 | 社会・現代

 舞踊家ニジンスキーはウクライナのキエフで1890年にポーランド人の両親のもとに生まれた。ただし、そのころウクライナという国はなかった。
 キエフ公国は13世紀にタタール人に侵攻によって崩壊し、その後は他国の支配と独立運動との繰り返しの長い苦難の時代が続いた。現在のウクライナが共和国として独立したのは1917年。22年にソ連に加盟。1991年に「ウクライナ」として再独立。苦難の歴史がやっと終わって平和が訪れたかに思われた。独立時は世界3位の核保有国だったが、その後完全に廃棄した。
 急いで書いておくが、ぼくはもちろん、「プーチンの言うことにも一理ある」などと主張したいわけではない。ロシアは直ちに無条件に侵略を止めて兵を引かなければならない。
 ウクライナは、ほかの東欧・中欧諸国同様、周辺の国々の力関係の綱引きの中で、繰り返し侵略・併合・分割されることを余儀なくされてきた。歴史上有名な「ポーランド分割」で悲劇の国とされたポーランドでさえ、ウクライナ西部を支配していた時代が長い。ニジンスキーがキエフで生まれた、というのもそのためだろう。彼が生まれたとき、キエフはロシア帝国に支配されていた。
 そうした歴史の中でやっと勝ち得た独立は、そして核廃棄にみられる平和への意志は、何よりも尊重されなければならない。

 今回のロシアの暴挙の報道の中で繰り返し映し出されるウクライナの国旗を見て、小麦畑あるいはヒマワリ畑と青い空、よりも先にぼくがすぐに思い浮かべたのは、「風の谷のナウシカ」だった。

  (樹々を愛で 虫と語り 風をまねく鳥の人)
  その者 青き衣をまといて
  金色(こんじき)の野におりたつべし

 あってはならないことだが、もし仮に、ウクライナが今いちどしばらくの間、ロシア帝国主義に膝を屈する事態になった場合も、ぼくたちはあの青と黄色の国旗を、平和を希求する不屈の意志の象徴の色として心に刻み込むことにしよう。

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