すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

舞岡では時間がゆっくり流れる

2021-06-28 10:01:05 | 自然・季節

 最近ぼくは自然の中を歩いている時だけ、心が晴れる。
 一昨日は、急に思いついて、たまたま上京していた友人のA夫妻を誘って、舞岡を散策してきた。
 彼は体調の問題で現在あまり長距離は歩けないので、尾根道は行かず、坂下口のバス停からゆっくり谷戸の上まで農道を歩いて、バラの丸の丘から小さな流れ沿いの脇道をバス停に戻った。途中、中の丸広場のテーブルで昼食。いつもに比べてすごくのんびりした散策だったが、緑を満喫できてとてもよかった。こんな風に歩くのはとても良いものだ。いつもぼくは山に行くとき、ロングコースを歩き切ろうとせかせか歩きすぎるのだろうと以前から感じていた。どっちか片方でなく、両方あったほうが良い。
 舞岡では、時間がゆっくり流れる。そこで過ごすぼくたちも、そのゆっくりの時間を体感することができる。夫妻と歩いていると、ぼくがふだん見落としているものが見えてくる。
 木も草も梅雨の雨をたっぷり吸収して、一年でいちばんみずみずしく美しい季節だ。今までぼくが舞岡で過ごした中で、最も豊かな時間だったかもしれない。
 お昼を食べている間、そのあと休んでいる間も、テーブルの後ろの林では何匹ものタイワンリスが何か大きな声を出しながらエサを食べたり、鳴きかわしていたりした。リスがこんなに大きな声で鳴くなんて知らなかった。なかで二匹で盛んに何か言い交わしていたのは、縄張り争いだろうか、それとも求愛だろうか?
 また、田植えが終わったばかりと思われる田んぼの横の茂みでは、比較的大きな鳥が数羽、人が近くにいるのを恐れる様子もなく、大きな声で囀っていた。ムクドリより少し大きいかなという大きさの鳥だ。目の周りに京劇の役者の隈取のような目立つ大きな白い模様がある。ガビチョウ(画眉鳥)という、中国原産の、特定外来生物に指定されている鳥なのだそうだ。
 (中国では昔から鳴き声を愛でる愛玩動物として飼われていて、日本でも一時は流行ったのだが、声が大きすぎて日本人の好みには合わず、ペットショップから野外に放鳥されたのが増えてしまったのらしい。ツグミなどの在来種を駆逐する恐れがあるのだそうだ)。
 彼は植物写真の専門家で、彼女はずっとそのアシスタントをしてきた人なのでぼく一人で歩いたら通り過ぎてしまう草や木に立ち止まって「ふむふむ、山形より季節が一カ月早いな」とか会話したり、ぼくにいろいろ見るべきものを教えてくれたりするので、とてもありがたい。昨日はクサレダマ、チダケサシなどいくつかの花の咲いている植物の名を教えてもらった。
 一緒に歩いているとほんとにぼくは何も知らないということを改めて思う。ナチュラリストクラブにいるときに、観察会の運営とかでなく、まず自分が植物や昆虫や鳥を学ぶということをきちんとすればよかった。このごろ残念と思うことばかりだ。もっと自分の生き方を豊かにできたろうに。
 とりあえず昨日は、二人のおかげでいつになく心豊かな時間を持つことができたから良いのだが。

クサレダマ(腐れ玉でなく、草レダマ)

チダケサシ(乳茸刺)

ヤマハギ

クサフジ

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