すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

貢献感

2018-04-28 23:11:25 | 老いを生きる
 今から20年ほど前、精神科の看護師をしている友人に、「あなたはボーダーライン(境界性人格障害)だよね」と言われてびっくりしたことがある。何の話の中だったか覚えていないが、べつに彼女の勤めるクリニックに相談に行ったわけではなく、喫茶店で言われたのだったはずだ。
 「大外れ」だと思ったが、反論するには知識が確かではないので、やめた。あの頃ぼくは精神的に大混乱してはいたのだが、その後に学んだ心理学的な見地から言えば、ぼくは「アダルトチルドレン」に該当していたかもしれない。
 現在はその状況から脱しているので、ここでボーダーもアダチルも説明するつもりはないが、そのころ及びそれから長い間、ぼくはかなり強い「被承認願望」を抱えてもがいていたことは確かだ。
 幸いなことに、そこからも今は脱している。
 今、ぼくが「あったらいいな」と思うものがあるとしたら、アドラー心理学でいうところの「貢献感」だろう。これも、そう強い願いではなく、これからの人生で、そういうものを感じながら生きていけたらいいな、という程度のものだ。
 そして、そのうえで、これもアドラー心理学でいう、「共同体感覚」を大切にしていきたい。
 この春仕事をやめたのは、耳が遠くなってお客様の注文が聞き取りにくい、とか、距離感が悪くなってコップをぶつける、とか、体力的に夜の仕事がしんどい、とか、いろいろ理由はあるが、ひとつには、このため、すなわち、「被承認願望」を「貢献感」に取り替えるためだ。
 精神的な混乱と試行錯誤の中で長い時間を過ごしてしまったので、せめて残りの時間は、「わりやのごとばかりで/くるしまなあよに」生きていきたい。
 スポットライトを浴びて歌をうたわせてもらうのは、「被承認願望」を満たすことはできても、「貢献感」は得にくい。お年寄りや子供といっしょに歌う方がいい。
 近いうちに、目黒区のボランティア協会に再登録するつもりでいる(以前、ドムラの弾き語りで登録していたのだが、腰を痛めてドムラをやめたので、退会した)。
 できることからはじめよう。
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