すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

お重開き

2018-04-02 22:13:27 | 自然・季節
 昨日、母の三回忌で山梨に行った。本当は母の命日は2月の初めなのだけれど、ぼくたちも親戚の人達もみんな高齢なので、少し暖かくなってからの方が良いだろう、ということで昨日になった。
 車窓から見る桃の畑は薄紅の花が三分咲きぐらいで、勝沼ぶどう郷駅の脇の昔のスイッチバック用ホームの桜は満開だった。連続するトンネルを抜けて甲府盆地に入ると最初にあの桜に出会い、間近に列車が停まるので感動する。
 そして、菩提寺である恵林寺の桜もちょうど満開だった。「今年はこのあたりの桜は開花が遅くて、ちょうど満開になりました」とお坊様が言っていた。
 ぼくらの子供の頃には桜は最近より遅く、ちょうど入学式の頃に満開だった気がする。そしてお雛祭りの頃に。
 甲府盆地の東側に当たる塩山や勝沼のあたりでは、お雛祭りは一か月遅れで4月3日だった(お釈迦様の誕生日、花まつりは5月8日だ)。そして、お雛祭りの日は「お重開き」と言って、女の子だけでなく、男の子にとっても一年で一番楽しい日だった。
 その日は、重箱に太巻きのお寿司や煮物や寒天ようかんなどごちそうを作ってもらって、子供たちだけで宴会をするのだ。
 兄弟たちや近所の仲良しの子供たちと連れ立って、大人に付き添われることなく、ゴザを抱え、風呂敷に包んだ重箱を持ち、一升瓶に詰めてもらった甘酒(酒粕ではなく、麹で作ったもの)を持ち、小さい子供の手を引いて、思い思いに、村を見下ろす小高い丘の上や、畑の中の大きな木の陰や、神社の境内や、菜の花の咲く川の土手などに行き、一日遊ぶのだ。
 「桃の節句」というけれど、桃の花は4月にならなければ咲かない。ちょうど春休みで、桜も咲いて、丘から見下ろす村の集落のむこうには笛吹川が流れ、遠く、甲府盆地を囲む山並みが連なり、世界はなんて広く、子供心にも、あこがれに胸がわくわくしたものだ。
 ほかの地方にそういう風習があるという話を聞かない。あれはもしかしたら日本であの地方だけのものなのかもしれない。そうだとしたら、ぼくはなんて幸せな土地に生まれたことだろう。
 そして、今でもあの風習はあるのだろうか? 日常生活がいつでもどこでも危険に満ちているように言われ、子供たちがじっさいに危険な目に逢い、大人たちによる子供たちの安全管理が厳しく必要とされる今日において、子供たちだけで、というのは考えにくいかもしれない。
 そうだとしたら、ぼくたちの楽園は消えてしまったのかもしれない。
 「今でもお重開きってするのですか?」と訊いてみたら、若いお坊様は、ひな祭りが月遅れということは御存じだったが、お重開きについては知らないようだった。
 やはり、楽園は数十年前には消えてしまったのだ。
コメント
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