すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

危険がいっぱい(?)

2018-04-04 15:30:32 | 社会・現代
 「お重開き」について、思いついてネットで検索してみたら、山梨のあの辺りの記事しか出てこなかった。その一つに、「消えてしまったお重開き」というのがあった。「35年ぐらい前まではあったのに・・・」と書かれていた。
 やはり、あの風習はあの辺り特有のもので、しかも無くなってしまったのだね。残念なことだ。
 子供たちがいつ何どき、見知らぬ人にとつぜん襲われるかもしれないという、現在のこの恐ろしい世の中では、やむをえないのかもしれないが。
 では、昔はそういうことはなかったのだろうか?
 すくなくとも、ぼくの郷里くらいの田舎では、車がそれほど普及していなかったあの当時、村の顔見知り以外の人間が入ってきて子供たちに近づく可能性はあまりなかっただろう。見知らぬ人間がいる、という情報は、その人間の挙動が怪しいと思われれば、すぐに村の人々に共有されただろう。
 それでは、現代ならば問題にされそうな人は、当時は全くいなかったか?
 そこで、ふと思い出したのだが、村々を巡回して放浪している浮浪者が何人かいた。
 ボロボロのなりをして、裸足で、ぼさぼさに伸びた髪とヒゲをして、家々の庭先で物乞いをする。たいていは、握り飯などを与えられる。時には、菜園の水まきなどの仕事を言いつかる事もある。子どもたちは、こわごわ、後について回って、囃し立てたりする。始終ニコニコしているものもいたし、振り向いて拳を上げて何か怒鳴るものもいた。そうすると子供たちはさらに囃し立てた。石を投げたりはしなかったように思う。
 現在では、そういう人たちは、村を回ってはいない。病院とか、どこかの施設にいるか。あの当時よりは少しはマシな境遇にいるだろうか。
 村の放浪者たちは、危険視され、排除される人たちではなかった。村の人たちにとっては、顔なじみだった。馬鹿にする村人も汚がる村人もいただろうが、大雑把に言えば、受け容れられていて、村の生活の一部になっていた、というのも変だが、村の生活と対立するものではなかったと思う(ぼくは子供だったから、本当のところはわからないのだが)。
 その頃は、子供はまだ、自分たちだけで遊びに出かけたりすることができた。
 村の放浪者は、いつごろからいなくなったのだろうか?
 これは、調べたわけではなくて、ヤマ勘で言うのだが、村から放浪者がいなくなった時期と、お重開きがなくなった時期は、そんなにずれてはいないのではないだろうか?
 ある土地に通常住む人とそうではない人たちが区別され、あるいは分離して保護されるにつれて、あるいは、その土地にとって異なる人や事や物が危険視され排除されるにつれて、その場所の、異なる存在に対する許容力はどんどん弱くなる。それにつれてその場所はどんどん、危険なものの入り込んでくる危険な場所になっていく。
 そのようにして、ぼくらの周りは危険がいっぱいになってしまった。
 …いやいや、この考えはもはや、時代遅れかもしれない。現代ではもう、そういう次元を超えてしまったかもしれない。
あの時代、少なくとも村の中の人間は気心が知れて安心だった。現代の都会では隣に誰が住んでいるか知らない。そこに通常の生活をしている通常の人間が、心の中に人知れぬ狂気や制御できない欲望を抱えているかもしれない。「丁寧に挨拶をする人だったのになぜ?」とか、「子供の見回り活動をしていた人なのになぜ?」とか。
 相互監視によらずに、安心して遊べる、安心して暮らせる町内にするには、どうしたらよいのだろうか?
コメント
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