blog友の画を借用 ・ 親の働く姿を連想
秩父地方の中山間地農家は、ほとんどの家で養蚕に励んだ。
昭和40年ころを境として、急速に衰えた。化学繊維の発達と、中国の台頭だと言われた。
群馬県富岡市の富岡製糸場が世界遺産に登録される予定です。
蚕を飼育した者にとって、うれしい事です。
桑⇒蚕⇒繭⇒生糸⇒銘仙
⇒輸出(横浜から)
BLOG友達のどんこさんが、
≪桑の切り株と武甲山≫の画像をupされた。
胸にジーンと来た。
歌を添えて、額に納めたので部屋に飾ろうと思っています。
桑の拳(切り株)がとても気にいりました。
秩父では、武甲山を母なる山、両神山を父なる山として、親しまれています。
どんこさん、事後承託でごめんなさい。
7~8年前の年賀状に、同窓生からも、こんな歌を添えて届いた。
☆ 冬枯れて 秩父事件や 桑拳し
稚蚕共同飼育所
当時各市町村に稚蚕飼育所があった。
蚕は小さい時が肝心で、1齢幼虫~3齢幼虫(=稚蚕)まで稚蚕飼育で行われた。
その後、各農家に分配され飼育して繭にされた。
それほどまでに大事に育てられた≪蚕≫。
5月22日、
先日は、武甲山、芝さくら、羊、桑畑のupありがとう。ジックリ見入りました。
中でも武甲山と拳のような桑の木々、蚕を育て、養蚕により現金収入を得て、我れが育てられた。
親の働く、握り締めた拳を見ているような気がしてなりませんでした。
よき写真ありがとうです。
こんなコメントを書いた。
さまざまな事を回らした。
それ以後一晩寝たら、こんな歌が出来上がりました。
事後承託で御免なさい。
写真コピーしてお借りしました。
昨日の朝 コメントしようと思ったけど
御本人のどんこさんから と遠慮してたら
無くなってました。
写真も素晴らしいし 添えられた御歌も胸にしみました。
故郷ってお母様そのものだなーって思いました。
それにどんこさんと縄文人さん、お二方のブログをずーっと拝見していて
クモの巣のような このネットの中で
こうなったら フィクションじゃなく 友情で繋がったるんだなーと
羨ましく思いました。
あたたかいコメ有難うございます。
一旦はどうしようか、マテよ、これは
著作権問題、コピー・・・・・・と、悩みました。
しかし目・心にジ~ント来た、この感激を、・・・・・再度upしました。
これは、どんこさんとて許してくれると思い、upしました。
お蚕様、
どんこさんにコメ欄にて↑にて申した通りです。
私、縄文人は、この≪蚕≫によって今有るようなものです。
おふくろが言ってました。
「辛抱する木に金がなる」
お袋の、二つの手、10本の指によって育てられました。(父は、生まれた1年後他界した)
故郷は、遠きにありて思うこと・・・・。
9年前秩父の地を初めて訪れた時に
真っ先に思い浮かべたのは
縄文人さんのことでした。
お会いしたこともまだないのに
(今もそうですが・・・)
この地が何だか旧友に出会ったような懐かしさを覚えたものです。
今も脈々として流れている望郷の念が
今日の縄文人さんの活力となっているのでしょうね。
これからも変わらぬお付き合いをお願いします。
お借りしました。
実はどうしようか↑と、momomamaさんのところで書いたとおりです。
いつも変わらぬお付き合いありがとうございます。
これからもよろしくおねがいします。
富岡製糸場は2年前に訪れました。
登録前で人は少なかったです。
蚕の飼育は、1年間に3回、おおい所は4回行われました。
したがって桑の切り方もこれに見合った方法、なされた。
一本の桑から最大限に収穫されるように!!
富岡製糸場見学したいとおもいます。
いまや桑の木を知らない人のほうが多いでしょうね。
桑の木は秩父の人たちの命を支えました。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/93/193ee4d28c640dab044aa34c265ace37.jpg
秩父困民党総裁田代栄助は熊木の生まれです。
いまや桑の木を知らない人のほうが多いでしょうね。
画像ありがとうございます。
比企のさんの仰る通り
≪金のなる木、命を支えた大事な木≫
養蚕を飼育する農家はほとんど消えてしまったようです。