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武甲山 母なる山

2014年05月27日 | 紀  秩父のあっちこっち

blog友の画を借用 ・ 親の働く姿を連想

秩父地方の中山間地農家は、ほとんどの家で養蚕に励んだ。
昭和40年ころを境として、急速に衰えた。化学繊維の発達と、中国の台頭だと言われた。
群馬県富岡市の富岡製糸場が世界遺産に登録される予定です。
蚕を飼育した者にとって、うれしい事です。
桑⇒蚕⇒繭⇒生糸⇒銘仙
                 ⇒輸出
(横浜から)

BLOG友達のどんこさんが、
≪桑の切り株と武甲山≫の画像をupされた。
胸にジーンと来た。

歌を添えて、額に納めたので部屋に飾ろうと思っています。

 


桑の拳(切り株)がとても気にいりました。
秩父では、武甲山を母なる山、両神山を父なる山として、親しまれています。

どんこさん、事後承託でごめんなさい

 

秩父地方の養蚕飼育の状況

7~8年前の年賀状に、同窓生からも、こんな歌を添えて届いた。
☆ 冬枯れて 秩父事件や 桑拳し 

 

稚蚕共同飼育所
当時各市町村に稚蚕飼育所があった。
蚕は小さい時が肝心で、1齢幼虫~3齢幼虫(=稚蚕)まで稚蚕飼育で行われた。
その後、各農家に分配され飼育して繭にされた。
それほどまでに大事に育てられた≪蚕≫。

 

 


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どんこさんへ (縄文人)
2014-05-26 05:56:02


5月22日、
先日は、武甲山、芝さくら、羊、桑畑のupありがとう。ジックリ見入りました。
中でも武甲山と拳のような桑の木々、蚕を育て、養蚕により現金収入を得て、我れが育てられた。
親の働く、握り締めた拳を見ているような気がしてなりませんでした。
よき写真ありがとうです。

こんなコメントを書いた。
さまざまな事を回らした。
それ以後一晩寝たら、こんな歌が出来上がりました。
事後承託で御免なさい。
写真コピーしてお借りしました。
返信する
よかった・・・ (momomama)
2014-05-27 11:33:28
縄文人さん  こんにちは。
昨日の朝 コメントしようと思ったけど
御本人のどんこさんから と遠慮してたら
無くなってました。

写真も素晴らしいし 添えられた御歌も胸にしみました。
故郷ってお母様そのものだなーって思いました。

それにどんこさんと縄文人さん、お二方のブログをずーっと拝見していて
クモの巣のような このネットの中で
こうなったら フィクションじゃなく 友情で繋がったるんだなーと
羨ましく思いました。
返信する
momomamaさん (縄文人)
2014-05-27 19:48:52


あたたかいコメ有難うございます。

一旦はどうしようか、マテよ、これは
著作権問題、コピー・・・・・・と、悩みました。
しかし目・心にジ~ント来た、この感激を、・・・・・再度upしました。
これは、どんこさんとて許してくれると思い、upしました。

お蚕様、
どんこさんにコメ欄にて↑にて申した通りです。
私、縄文人は、この≪蚕≫によって今有るようなものです。
おふくろが言ってました。
    「辛抱する木に金がなる」
お袋の、二つの手、10本の指によって育てられました。(父は、生まれた1年後他界した)

故郷は、遠きにありて思うこと・・・・。

返信する
ご活用いただき (どんこ)
2014-05-27 21:08:40
大変嬉しいです。
9年前秩父の地を初めて訪れた時に
真っ先に思い浮かべたのは
縄文人さんのことでした。
お会いしたこともまだないのに
(今もそうですが・・・)
この地が何だか旧友に出会ったような懐かしさを覚えたものです。
今も脈々として流れている望郷の念が
今日の縄文人さんの活力となっているのでしょうね。
これからも変わらぬお付き合いをお願いします。
返信する
どんこさん (縄文人)
2014-05-28 05:58:57


お借りしました。
実はどうしようか↑と、momomamaさんのところで書いたとおりです。
いつも変わらぬお付き合いありがとうございます。
これからもよろしくおねがいします。
返信する
なるほど (横浜のおーちゃん)
2014-05-29 17:33:53
養蚕地では冬に桑を切り詰めて拳にするのですね。初めて知りました。
富岡製糸場は2年前に訪れました。
登録前で人は少なかったです。
返信する
横浜のおーちゃん (縄文人)
2014-05-30 08:42:09

蚕の飼育は、1年間に3回、おおい所は4回行われました。
したがって桑の切り方もこれに見合った方法、なされた。
一本の桑から最大限に収穫されるように!!
富岡製糸場見学したいとおもいます。
返信する
Unknown (比企の村びと)
2014-06-05 10:19:12
羊山公園の桑畑、「この木何の木」という立札つきでした。
いまや桑の木を知らない人のほうが多いでしょうね。
桑の木は秩父の人たちの命を支えました。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/93/193ee4d28c640dab044aa34c265ace37.jpg

秩父困民党総裁田代栄助は熊木の生まれです。
返信する
比企の村びとさん (縄文人)
2014-06-05 16:55:34
≫「この木何の木」という立札つきでした。
いまや桑の木を知らない人のほうが多いでしょうね。
画像ありがとうございます。
比企のさんの仰る通り
≪金のなる木、命を支えた大事な木≫
養蚕を飼育する農家はほとんど消えてしまったようです。
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