「原子力最中」と「秩父原人最中」
ハンドルネームも水の泡・・・・・!
とても甘いお菓子だったと言う。
砂糖も蜂蜜もたっぷりだったと、昔の新聞記事にある。
福島県大熊町にあった「原子力最中」~だ。
東京電力福島第1原子力発電所が営業運転を始めた1971年に地元の和菓子店で売り出し、
あの事故が起きるまで時々話題になった。
最中の皮に原子力建屋がデザインされていた。
産業に恵まれない、
この地域にとっては、原発がいかに大きな存在であったかを示している。
・・・・・・・・・・そしてつい先日。
事故で各地に避難した人たちが起こした訴訟で、最高裁判所は、
国の賠償責任を認めない判決を言いわたりた。
(”22,6,18「日経朝刊・春秋」から)
話をチョイト方向変えて「故郷秩父の」でのお話。
1999年6月に秩父市の長尾根遺跡で35万年前の石器が発見されたのに続き、
2000年2月には同じく秩父市の小鹿坂遺跡で50万年前のものと
思われる石器が発見されました。
いずれも考古学会では、ゴッドハンドとあがめられていた藤村新一さんの発見です。
秩父市ではこの世紀的な大発見に大勢の見学者が押し寄せ大騒ぎとなる。
原人マンジュウなどの秩父原人をモチーフとした商品開発が行われ、原人を
中核とした街づくりが行われました。
その象徴がこの「秩父原人チプー」です。
お菓子屋さんで「秩父原人最中」なるものも発売されたと聞いている。
たまたま筆者も、ちょうどブログを始めた頃で、ハンドルネームを何としようか
と思案していた時でした。
願ってもない朗報と「秩父原人」とネーミングをした。
そんな騒ぎも2000年11月の毎日新聞のスクープにより幕を閉じます。
全ては藤村新一さんの『捏造』だったのです。
その詳細は・・・
知知夫・・秩父(神の手事件) - 日々是好日・スローライフ (goo.ne.jp)
コメント欄はopenです。
ほじくり返すのも後味が悪いものですよね。
最中にも「原子力」「秩父原人」と言うのがあったとは知りませんでした。
消えゆく運命でしたね。
又また引用してしまいました。
”最中”が相通じる部分、「最初喜び・・・泣かせて消えた」
何か相通じるようなところが有るような気がして取り上げてみました。
・長分は ブログに向かぬ また書きし (縄)
なんともひどいお話しですね
最中も原子力は今思うとよく付けた物でした
そして秩父原人でまた駄目だったようですね
せつないお話しですねえ~
当時は「神の手」としてもてはやされました。
繩文人もこれに乗っかって、ハンドルネーム・・・・をと、
ハイ~今考えれば浅はかな人間でした。
・ 相撲取る 褌借りて 紐切れた (縄)
、
TV、新聞で知り、とても残念に思ったことでした。
ハンドルネームの由来についても拝見いたしました。
現在の「縄文人」様がとても親しみやすく大好きです。
先日ご紹介頂きましたうどんこ病について大変参考になりました。
きゅうりに害がないと伺い早速散布いたし沢山収穫できますように
お願いいたしました。
最中もいろいろとあったのですね。
話題性もあり便乗でもありますが、美味しければいいかなっと思います。。。(^O^)
秩父市で大きな捏造があったのですね。
秩父市や小鹿野町、長瀞町では、歴史のあるものがたくさん見つかりそうですが。。。
日本人は、お祭り騒ぎが大好きですから「最中」を作ったのでしょう。
しかし福島県大熊町・原子力発電は、意外にも大地震で崩壊、この近所の方たちは、
地震+放射能で大きな被害にあいました。
こちらは、大自然がもたらした大きな被害!!
「秩父最中」のお祭り騒ぎは、ハイ「神の手・捏造事件」あまりにもお粗末でした。
これに乗っかってハンドルネームをと・・・・・・・あまりにも浅はかでした。
縄文人のうかつでした。
秩父市の人間も、原人から町興し…!!
色々将来に対して夢を描いたことでしょう。
が、・・・・しかし原点から崩れ去る、全くお恥ずかしい話でした。
ハンドルネームも秩父連山の方に似、露となって消えました。
わが町では 芦屋釜もなか 茶釜の形をしたものかが
昔からあります。
再開
ラジオ体操 再開できてよかったですね。
私は テレビ体操ですが 欠かさず やっています。
日曜日には 体操の禅語に 短歌 俳句の時間がそれぞれにあり
造れないけど 見て楽しんでいます。
今日はプレバトですね。
最近、momomamaさんは街歩きや、ハイキングよく出かけられます。
関心いたします。
我は、コロナ以後すっかり体力が減退そしてアチコチ体調を崩し、骨とう品になりました。
体操を始めましたがこれは近くの公園、そして軽い運動ですので体力は使いません。
昨夜のプレバト見ました。
私も思いつき5・7・5をコメント欄に書き記し、頭の柔軟に勤めています。
年相応に頑張ります!!