今回は先月、絵の先生とご一緒した雨引漢音、白河市小峰城と続いた2日間、最後の目的地2箇所です。
この二つのお寺、雨引観音(雨引山楽法寺)のご住職からお話の有った坂東三十三観音札所のお寺で栃木県内4箇所の札所(他は20番獨鈷山 西明寺(益子観音)と18番日光山 中禅寺(立木観音))の内、小峰城の帰り道の都合上行きやすかった19番天開山 大谷寺(大谷観音)と17番出流山 満願寺(出流観音)へ行って来ました。
どちらのお寺も創立が1000年以上も前の古刹です。
因みに坂東三十三観音札所公式サイトのアドレスは
http://www.bandou.gr.jp/temple/tochigi.php
そして最初に訪れたお寺、19番天開山 大谷寺(大谷観音)の公式サイトアドレスは
http://www.ooyaji.jp/
またその後に行った17番出流山 満願寺(出流観音)の公式サイトアドレスは
https://www.idurusan.com/side/link.html
です。
ご興味がお有りの方はこちらもご覧下さい。
では最初の大谷観音から・・・
時雨れていた白河市小峰城を後にして約1時間、宇都宮に入り最初の目的地、雨も止み晴天になった大谷観音に着きました。ここのご本尊は日本最古の岩壁に彫られた千手観音がご本尊、撮影禁止となっているのでこちらはお寺のパンフレットをご覧下さい。
またこの近辺の、大谷石の採掘跡も観光地になっています(但し時間の都合でこちらは行っていない)。
お寺のパンフレット。
まずは山門の仁王様(呍形)ただ新しく作られた物か歴史的な重さは見られない。
そしてこちらは阿形。
お寺の中は岸壁が迫る!
大谷寺入山入口。
こちらは鰐口。
岩壁と一体化した観音堂(本堂)こちらに千手観音様が祀られている。
下から見上げて・・・
斜め右側より、広角レンズを使っても中々全部は入らない。
正面から見上げて・・・
横の岩壁も入れたモノ。
直ぐ近く、岩に彫られた平和観音の案内ポスター。こちらの資料館には縄文最古の人骨(11,000年前)も展示している。
ここからはお庭の紅葉、右奥は弁天堂。
弁天堂と渡る橋。
仏像も入れて・・・
池の奥は観音堂にも続く岩壁。
橋と弁天堂。
橋の途中から・・・
弁天堂のアップ。
イロハカエデ。
そして紅葉1.
紅葉2.
紅葉3.
大谷観音を出て、直ぐ近くの平和観音に向かう。
平和観音全景、高さは27m。
右側下から見上げて・・・
正面より。この後大谷観音を後にして栃木市の満願寺に向かった。
大谷観音を出て本日最後の目的地、出流山満願寺(出流観音)に着いたのは午後2時半過ぎ、日も大分西に傾いていた。
帰り掛け事務等で、こちらのお坊さんより伺った話ですが、創立は765年(天平神護元年)で1200年以上の歴史が有り、真言宗智山派の古刹として以前は「別格本山」を称していたそうです。
ただ東日本大震災により多大な被害を受け、宿坊は使用不能となり、奥の院へ向かう参道も崩れ落ち通行不能となったとの事。
この様な災害が重なり、僧職、その他従業員を含め30名程居た寺院関係者が現在では6名に減り、別格本山の称号も高野山に返上されたそうです。
更にやっと修復が終わり奥の院への参道も通行可能となったやさき、今秋の台風19号やその後の大雨により山津波が起き、本堂の被害は免れたものの、またしても奥の院への参道が流され、被害は事務棟にも及んだそうです。
その様な事も有りこちらでは寄進を募っているとの事、とても風情の有るお寺ですし、何とか立ち直って頂ければ良いのですが・・・
と言う事で、このお寺で売りの京都の清水寺に似た舞台が有る奥の院は行けずじまいでした。
このお寺に着いた時、これだけ大きなお寺で天気の良い土曜日の午後の割りには参拝客も殆どいなく、少々荒れた感じを受けたのですが、これらの事柄が起因している様です。
山門の千社札、山門の写真は撮っていない。
と言う事で山門の住人、仁王様(呍形)
仁王様(呍形)縦位置
仁王様(呍形)横位置
仁王様(阿形)縦位置
仁王様(阿形)正面
仁王様(阿形)右側より
左側は薬師堂。
奥に進んで・・・
境内社、開運稲荷大明神の祠。
事務等側より薬師堂。
鐘楼。
少しアップで。
本堂へ続く参道、振り返って・・・
事務棟、奥の建物は宿坊だが傷みが激しく、使用不能となっている。
御朱印等の受付、この日はお坊さん一人だけだった・・・
事務棟の前、手水処や寄進のお願い。
こちらは石のお地蔵さん、石柱には歌舞伎役者の名前も読める。
本堂への階段、修復の途中かネコが置かれていた・・・
こちらも境内のお堂。
階段の途中より本堂(観音堂)
灯籠越しの本堂。
灯籠のアップ。
本堂屋根部分(正面)
斜めよりアップ。
この辺りも荒れた感じが・・・
石段の柱、寄進者の名前か?
本堂の千社札と木鼻。
本堂参拝扉。
鰐口。
本堂軒下の木鼻(彫刻)
本堂参拝扉横に置かれた木の仏様。
本堂横の弘法大師像と観音像。
弘法大師像。
本堂裏側、右奥の道を行っても奥の院へ行けそうだが、途中で通行止めになっているとの事。
本堂前。
本堂前仏塔上部。
こちらは灯籠。
本堂前から下を見下ろして・・・
最後は満願寺の紅葉。
普段は清らかな水が流れるお寺横の沢も台風や先日の大雨では濁流が流れ、溢れた水は境内にも達し、さすがにお坊さん達も生きた心地も無く、仏様に祈るのみだったそうです。
山中深く静かな清楚なお寺なので、復興された暁には、また訪れてみたいお寺の一つです。
先生方と再興を祈りこのお寺を後にしました・・・
次回は同じ板東三十三観音札所の内、先日家内と行った埼玉県東松山市第10番札所、岩殿観音(岩殿山正法寺)をご案内予定です。
ご覧頂き有難うございました。
この二つのお寺、雨引観音(雨引山楽法寺)のご住職からお話の有った坂東三十三観音札所のお寺で栃木県内4箇所の札所(他は20番獨鈷山 西明寺(益子観音)と18番日光山 中禅寺(立木観音))の内、小峰城の帰り道の都合上行きやすかった19番天開山 大谷寺(大谷観音)と17番出流山 満願寺(出流観音)へ行って来ました。
どちらのお寺も創立が1000年以上も前の古刹です。
因みに坂東三十三観音札所公式サイトのアドレスは
http://www.bandou.gr.jp/temple/tochigi.php
そして最初に訪れたお寺、19番天開山 大谷寺(大谷観音)の公式サイトアドレスは
http://www.ooyaji.jp/
またその後に行った17番出流山 満願寺(出流観音)の公式サイトアドレスは
https://www.idurusan.com/side/link.html
です。
ご興味がお有りの方はこちらもご覧下さい。
では最初の大谷観音から・・・
時雨れていた白河市小峰城を後にして約1時間、宇都宮に入り最初の目的地、雨も止み晴天になった大谷観音に着きました。ここのご本尊は日本最古の岩壁に彫られた千手観音がご本尊、撮影禁止となっているのでこちらはお寺のパンフレットをご覧下さい。
またこの近辺の、大谷石の採掘跡も観光地になっています(但し時間の都合でこちらは行っていない)。
お寺のパンフレット。
まずは山門の仁王様(呍形)ただ新しく作られた物か歴史的な重さは見られない。
そしてこちらは阿形。
お寺の中は岸壁が迫る!
大谷寺入山入口。
こちらは鰐口。
岩壁と一体化した観音堂(本堂)こちらに千手観音様が祀られている。
下から見上げて・・・
斜め右側より、広角レンズを使っても中々全部は入らない。
正面から見上げて・・・
横の岩壁も入れたモノ。
直ぐ近く、岩に彫られた平和観音の案内ポスター。こちらの資料館には縄文最古の人骨(11,000年前)も展示している。
ここからはお庭の紅葉、右奥は弁天堂。
弁天堂と渡る橋。
仏像も入れて・・・
池の奥は観音堂にも続く岩壁。
橋と弁天堂。
橋の途中から・・・
弁天堂のアップ。
イロハカエデ。
そして紅葉1.
紅葉2.
紅葉3.
大谷観音を出て、直ぐ近くの平和観音に向かう。
平和観音全景、高さは27m。
右側下から見上げて・・・
正面より。この後大谷観音を後にして栃木市の満願寺に向かった。
大谷観音を出て本日最後の目的地、出流山満願寺(出流観音)に着いたのは午後2時半過ぎ、日も大分西に傾いていた。
帰り掛け事務等で、こちらのお坊さんより伺った話ですが、創立は765年(天平神護元年)で1200年以上の歴史が有り、真言宗智山派の古刹として以前は「別格本山」を称していたそうです。
ただ東日本大震災により多大な被害を受け、宿坊は使用不能となり、奥の院へ向かう参道も崩れ落ち通行不能となったとの事。
この様な災害が重なり、僧職、その他従業員を含め30名程居た寺院関係者が現在では6名に減り、別格本山の称号も高野山に返上されたそうです。
更にやっと修復が終わり奥の院への参道も通行可能となったやさき、今秋の台風19号やその後の大雨により山津波が起き、本堂の被害は免れたものの、またしても奥の院への参道が流され、被害は事務棟にも及んだそうです。
その様な事も有りこちらでは寄進を募っているとの事、とても風情の有るお寺ですし、何とか立ち直って頂ければ良いのですが・・・
と言う事で、このお寺で売りの京都の清水寺に似た舞台が有る奥の院は行けずじまいでした。
このお寺に着いた時、これだけ大きなお寺で天気の良い土曜日の午後の割りには参拝客も殆どいなく、少々荒れた感じを受けたのですが、これらの事柄が起因している様です。
山門の千社札、山門の写真は撮っていない。
と言う事で山門の住人、仁王様(呍形)
仁王様(呍形)縦位置
仁王様(呍形)横位置
仁王様(阿形)縦位置
仁王様(阿形)正面
仁王様(阿形)右側より
左側は薬師堂。
奥に進んで・・・
境内社、開運稲荷大明神の祠。
事務等側より薬師堂。
鐘楼。
少しアップで。
本堂へ続く参道、振り返って・・・
事務棟、奥の建物は宿坊だが傷みが激しく、使用不能となっている。
御朱印等の受付、この日はお坊さん一人だけだった・・・
事務棟の前、手水処や寄進のお願い。
こちらは石のお地蔵さん、石柱には歌舞伎役者の名前も読める。
本堂への階段、修復の途中かネコが置かれていた・・・
こちらも境内のお堂。
階段の途中より本堂(観音堂)
灯籠越しの本堂。
灯籠のアップ。
本堂屋根部分(正面)
斜めよりアップ。
この辺りも荒れた感じが・・・
石段の柱、寄進者の名前か?
本堂の千社札と木鼻。
本堂参拝扉。
鰐口。
本堂軒下の木鼻(彫刻)
本堂参拝扉横に置かれた木の仏様。
本堂横の弘法大師像と観音像。
弘法大師像。
本堂裏側、右奥の道を行っても奥の院へ行けそうだが、途中で通行止めになっているとの事。
本堂前。
本堂前仏塔上部。
こちらは灯籠。
本堂前から下を見下ろして・・・
最後は満願寺の紅葉。
普段は清らかな水が流れるお寺横の沢も台風や先日の大雨では濁流が流れ、溢れた水は境内にも達し、さすがにお坊さん達も生きた心地も無く、仏様に祈るのみだったそうです。
山中深く静かな清楚なお寺なので、復興された暁には、また訪れてみたいお寺の一つです。
先生方と再興を祈りこのお寺を後にしました・・・
次回は同じ板東三十三観音札所の内、先日家内と行った埼玉県東松山市第10番札所、岩殿観音(岩殿山正法寺)をご案内予定です。
ご覧頂き有難うございました。