座間コミニティー

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◆この世と調子を合わせてはいけません。

2013年10月14日 16時52分29秒 | 聖書

◆この世と調子を合わせてはいけません。(ローマ一二・二)

もしクリスチャンが、この世と妥協しながら救われるとすれば、少なくとも火の中をくぐってきた者のようにして救われる。そのような危ない救いは、望ましいものではなく、恐れなければならないものである。友よ。あなたは絶望の死の床の暗やみからこの世を離れて天国に入りたいのか。それならこの世と調子を合わせて、拝金主義者の中に入れ。キリストの辱しめを身に負い、宿営の外に出て行くことを拒絶せよ。
しかしあなたは、上に天国をもつとともに、この地上においても天国をもちたいと願うか。すべての聖徒と共に、愛の広さ、長さ、高さ、探さがどれほどであるかを理解し、人知をはるかに越えたキリストの愛を知りたいと思うか。主の喜びの中に豊かに受け入れられたいと思うか。では、拝金主義者の間から出て行き、彼らと分離せよ。汚れたものに触れてはならない。
あなたは、信仰の十分な確信に到達したいと願うか。罪人と親しく交わっている限り、それは不可能である。熱烈な愛に燃えたいか。あなたの愛は、未信者の社会の湿った空気にしめらされるであろう。あなたは偉大なクリスチャンになることはできない。恵みの幼児になることはできるかもしれないが、キリスト・イエスにあって決して完全な人になることはできない。あなたがこの世の実業家の処世訓や方法をまねている限りはできないことである。
天国の相続人が、地獄の相続人と親交をもっているのはよくない。小さな矛盾でも危険である。小さなとげがやがて大きな腫れものを生じさせ、小さなしみが立派な服をだいなしにし、些細な軽薄さや悪ふざけが、信仰から多くの喜びを奪うようになる。
罪から少ししか離れていない信仰告白者たちよ。あなたはこの世と調子を合わせることにより、どれほどの損害を受けているかを知らない。それはあなたの力のもとを断ち、そのためにあなたは走るべき時に、はって行かなければならない。クリスチャンになろうとするなら、あなた自身の慰めのため、あなたが恵みに成長するため、旗色を鮮明にしたクリスチャンになれ。

 


◆偽 り の 証 言

2013年10月14日 07時25分35秒 | 聖書

 隣人に対し、偽りの証言をする人は、
こん棒、剣、また鋭い矢のようだ。(箴言二五18)

もし友人が殺人罪で裁判にかけられている場合、自分はその友人が犯人ではないとはっきり知っているのに、「この人こそ犯人です」と偽りの証言をしたらどうでしょう。そんなことは、まさか私はしないだろうと、多くの方がお思いになると思います。
しかしどうでしょうか。友人が殺人犯として裁判にかけられている場合、私は、友人が犯人ではないとはっきり知っていながら、かかわり合いになりたくないのでだまっている。――そういうことは私にもありそうだと、お思いになりませんか。「うそ」を言う偽りの証言もあります。しかし、だまって言わない偽りの証言が、それ以上にありましょう。そのような偽りの証言も、同じように、あなたの隣人に対して、こん棒となり、剣となり、鋭い矢となるのです。
キリストはすべての人を愛し、すべての人の罪をゆるすために十字架にかかられました。それなのに、罪を悲しみ、絶望して立ちあがれない人に、神の愛と救いをあかししないでだまっていることは、どんなに罪深いことか知れません。しかし、かかわり合いになりたくないとか、めんどうなことになりたくないのでだまっている。――そんな人間の心の弱さを、私の内に覚えます。
イエス・キリストは、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、……地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒一8)と言われました。
真実な証言をすることは、考えてみると、そのために上からの力・神の愛の力が必要なのです。

 


◆私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、

2013年10月14日 07時24分37秒 | 聖書

いっさいのことを損と思っています。(ピリピ三・八)

キリストに関する霊的な知識は個人的な知識である。私は他の人が主を知っているその知識によって主を知ることはできない。私は自分自身で主を知らなければならない。
それは理知的な知識である。私は幻や夢の中で主を知るのではなく、みことばが啓示する主を知らなければならない。私は主のご性質、その神性、および人性を知らなければならない。私は主の職分――その徳、働き、恥辱、栄光――を知らなければならない。私は、「すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知る」に至るまで、主について黙想しなければならない。
それは主についての熱愛の知識である。事実、もし私が主を知るならば、主を愛さずにはおられない。一グラムの心の知識は、一トンの頭の知識に相当する。
主についての私たちの知識は満足を与える知識である。救い主を知る時、私の心は縁まで満たされる。たましいがあえぎ求めてきたものを得たことを感じる。
同時にそれは刺激的な知識である。愛する主について知れば知るほど、私のうちにさらに知りたいという思いが起こる。高く登れば登るほど、私を招く山頂はさらに遠く見える。多くを得れば得るほど、私はさらに多くを得ることを願うであろう。
要するにこれは、キリスト・イエスを知る知識が、最上の幸福だからである。事実この知識は、私を高めて、時にはすべての試練、すべての疑惑、すべての悲哀を完全に超越させる。なおその知識は、私がそれを楽しむ時、私を「女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいです」という人以上の何ものかにするのである。なぜなら、それは永遠に生きる救い主の不朽のいのちを私の周りにまき散らし、主の永遠の喜びの金の帯を、私にまとわしめるからである。

 


士師記4章1-3節

2013年10月14日 07時23分00秒 | 聖書

4:3 彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえ二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。


エフデの死んだ後、指導者がいなくなったため、民は主の戒めに背きました。
そこで主は、彼らをカナン人の王ヤビンの支配の下に置かれました。

彼は戦車900両も持つ、軍事力のある王でした。

士師記を見ますと、士師のような指導者がいると、民は主と共に良い歩みをしますが、士師がいなくなると、民は罪を犯して神の戒めに背いてしまいます。

そこで神様は彼らに怒りを発せられて、裁きとして他国の支配の手に彼らをゆだねてしまわれます。

しかし、民がその支配の下で苦しみもがいて、主に助けを求めますと、主は彼らに士師を送られて助けを与えてくださいます。

こうした現実が繰り返されているのが、士師記です。

これはいったい何を語っているのでしょうか。

それはパウロがロマ書で語っていますように、義人は一人もいないという現実を示しているのです。

救いは、ただ主の恵みによってくるということを告げているのです。


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テサロニケ人への手紙 第二 3章5節(雅歌4章)

2013年10月14日 07時20分45秒 | 聖書

★  どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。

■O:今日のコラム

最近、台湾と韓国の二人の姉妹と交わり祈る機会がありました。

二人に共通していた願いは、日本に住んでいる外国人の救い、そして、日本人に対してもっともっと福音を大胆に伝えたい、ということでした。

共に祈る中で、姉妹は心注いで涙を流して祈っていました。

彼女たちの内にある情熱とへりくだりは、私の心を本当に奮い起たせてくれるものでした。

今、あらゆる国々の教会が、この終わりの時代、日本が立ち上がるために心砕いて祈って下さっていますが、海外に行かないまでも、身近にいる外国の兄弟姉妹を通しても、そのことを肌で感じることが出来ます。

言葉の壁、文化の違い、あるいは外国人であるがゆえに受ける差別もあるかもしれません。それでも主への信仰と忍耐を持ち続け、日本に住み、日本の救いのために涙を流してとりなしている彼らを思う時、そこにイエス様の御姿を見出だすことが出来ます。

イエス様が地上での公生涯、罪ある者の敵意に耐えられたように、彼らもまたあらゆる困難や障害にも耐え、共に主の御足の跡に従っているのです。

また私たち自身も、家族や友達に神様のことを話す時に、少なからず困難や障害を経験する時があります。こんな時、主に何を祈り求めるでしょうか?

数え切れない迫害と難を経験してきましたパウロは、「これらの悪いものから守ってください」、という保守的な祈りは決してしませんでした。

福音のために仕える聖徒たちに、「主は真実なお方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます!」と力強く宣言しているのです。

そのあとで「主があなたがたの心を導いて…」とあります。これは、「主があなたの心にある障害を取り除き、道を整えて」という意味です。

障害は、外からやって来る迫害や攻撃ではなく、実は私たちの心の中、内側に存在するのです。

この障害が取り除かれる時、道は整えられ、どのような最悪な状況にあっても、みことばは力強く前進していきます。

「私はこの福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。」、また、「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちの内に働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」とパウロが書いている通りです。

■A:考えてみよう

主との関係、あるいは、主に従うことにおいて障害となっているものは何だろう?

気付かされた時、速やかにそれを主に捧げることが出来るように祈ろう。

霊の言葉でも祈り、御霊にある自由と喜びと解放、ブレイクスルーを体験しよう。

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩編139編23-24節)

■P:祈り

主よ、私の心にある思い煩いを取り除き、自由にしてください。主に従うということがもっとシンプルで、もっと大きな喜びとなっていきますように。

また、日本で福音の働きをされておられる外国の兄弟姉妹たちの尊い存在を覚えます。彼らの上に主の大いなる報いと救いの豊かな刈り取りがありますように。

私たちも同胞の救いのために、主イエスの再臨に備えてもっと大胆にみことばの種を蒔く者とさせて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。