座間コミニティー

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◆自分自身のコントロール

2013年10月20日 10時56分18秒 | 聖書

自分の心を制することができない人は、
城壁のない、打ちこわされた町のようだ。(箴言二五28)

さてあなたは、自分の心をコントロールできますか。意志の力が強く、自分で自分がうまくコントロールできているように見える人もいます。しかしたいていの場合、より強い欲望が、他の欲望を抑えているにすぎません。
なぜ盗まないか。なぜ暴力をふるわないか。なぜ下品なことば遣いをしないか。なぜ乱暴しないか。――その理由は、人に分かったり、見られたりしたら、恥ずかしいということです。メンツがつぶれて、笑われ、侮辱され、仲間はずれにされることを恐れるからです。人は恥を知る動物として、このみえを張ったりメンツを立てようとする欲望が、他のもっと程度の低い動物的即物的欲望を抑えているのです。しかし、これは結局、みにくいエゴの奴隷的圧制です。そこには、自由も平安も喜びもないでしょう。
しかし聖書は、「神を恐れる」ことを教えます。自分の全体を生かしコントロールしている神を、神として心から尊敬し恐れかしこむ、つまり、神のコントロールの中に身をゆだねる時、清らかな新しい意味の自己コントロールができるでしょう。
さらに聖書は、心の王座に神を迎えるという方面から、このことを教えます。キリストが心の王座に座り、自我が喜んで服従する時、キリストの愛が私の愛となり、キリストの力が私の力になるのです。パウロは、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ二20)、「私の中に住みたもうキリスト、これこそ栄光の望みです」(コロサイ一27参照)と言いました。

 


◆あらゆる点において成長し、

2013年10月20日 10時55分35秒 | 聖書

かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ四・一五)

多くのクリスチャンは霊的成長をせず、何年も同じ状態にとどまっている。進歩の見込みもなく、改善の様子もない。彼らは存在はしているが「あらゆる点において成長し」ようとはしない。しかし、私たちは「初めに苗」が出たのみで満足し、「次に穂」、「次に穂の中に実」を生じないでおられるだろうか。キリストを信じて満足し、「私は安らかです」と言うだけで、自分の中にある満たしをさらに深く経験せずにおられるだろうか。それはあってはならないことである。
私たちはまた、天国の市場の良い商人として、イエスの知識に富むことを切望しないでおられるだろうか。他人のぶどう畑の面倒を見るのも結構であるが、私たち自身の霊的成長と成熟をないがしろにしてはならない。どうして私の心がいつも冬の状態でいられよう。私たちには種蒔きの時が必要である。しかし、春が来て夏が訪れて、収穫の望みがもてるようでなければならない。
もし私たちが恵みの中で成熟することを願うならば、イエスに近く、主の臨在のうちに生き、主のほほえみの日光によって成熟しなければならない。私たちは、主とのすばらしい霊の交わりに入らなければならない。イエスの御顔を遠くから眺めるのではなく、ヨハネのようにイエスに近づいて、自分の頭を主の御胸にもたせかけなければならない。そうすれば、聖潔において、愛において、信仰において、希望において、しかり、すべての尊い賜物において進歩するであろう。
ちょうど太陽がまず山頂に現れ、その光で山頂を輝かせて旅人の目に最も美しい光景を現すように、ある卓越した聖徒たちの上に聖霊の光の輝きを見るのは喜ばしいことである。彼らは霊性において、サウロのようにひときわ高くそびえ、ついに雪をいただくアルプスのようになる。そして、選ばれた者たちの間にあって、彼らはまず義の太陽の光を反射し、主の輝きをすべての人が仰ぎ見るようにさせる。人はこれを見た時に、天におられる父なる神をあがめるのである。

 


士師記5章15-27節

2013年10月20日 10時54分10秒 | 聖書

5:23 主の使いは言った。『メロズをのろえ、その住民を激しくのろえ。彼らは主の手助けに来ず、勇士として主の手助けに来なかったからだ。』


「メロズをのろえ」、と語られています。

メロズとは町のことです。

その町を呪えというのです。

つまり、神からの裁きが到来しろというのです。

なぜなのでしょう。

それは、その町の人々が同じ主の民であるにもかかわらず、また戦いの場所に比較的近い町であったにもかかわらず、その住民の人々は見て見ぬふりをして、戦いに参加しなかったからであるというのです。

戦いは、民の苦しみを見てそれを助けようとしてくださった主が、指導者を立てて起こしてくださったものです。

またそれは、民の助けのためです。

ところが、その同胞の苦しみや、主のみ心も理解しないで、自ら眠りをむさぼっていたことに対して、ここで呪われよ、と告げているのです。

 主の民はいつでも平和であるわけではありません。

自分たちの犯した罪のために苦しむこともあります。

しかし、苦しむ主の民に心を寄せて、互いに助け、支え合うのが、主の民のあるべき姿であるのです。



ダニエル書4章18節(同3章)

2013年10月20日 10時52分32秒 | 聖書

★  私、ネブカデネザル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ。あなたはその解き明かしを述べよ。私の国の知者たちはだれも、その解き明かしを私に知らせることができない。しかし、あなたにはできる。あなたには、聖なる神の霊があるからだ。」

■O:今日のコラム

聖霊様と共に歩む時、世の知恵をもってしても解決することはできないことに着手するようになることをダニエルを通して学びます。ダニエルは知恵と悟りのあらゆる面で、10倍もまさっていたと記録されています。(ダニエル1章20節)

ということは私たちにも注がれて住んでくださっている聖霊様によって、世のものより少なくとも10倍以上の優れてよいものが与えられていると信じます。

主の霊は知恵と悟り、はかりごとと能力、主を知る知識と主を恐れる霊、そしておくびょうではなく愛と力と慎みとの霊です。また9つの賜物をお持ちの方で、これらの領域において、これから主がますます私達の革袋をひろげてくださることを信じます。

■A:考えてみよう

この世の知恵、方法以上に御霊を愛し、求める。
学校、職場、家庭、移動中などで、隙あらば異言で祈る。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。