あなたがたに知らせる……。(ヨハネ一六・一四)
聖書のすべての約束も教義も、恵みの御手がそれらを私たちに適用してくださらなければ、役に立たないことがある。私たちは渇いている。しかし谷川まで行くには、あまりにも弱り果てている。兵士が戦場で傷ついた時、病院に傷口をほうたいしてくれる人々がいて、苦痛を和らげる薬があることを知っていても、彼にとってそれはほとんど益にならない。彼に必要なことは、そこまで運ばれて手当てを受けることである。私たちのたましいもこれと同じである。そしてこの必要を満たしてくださるのは真理の御霊であり、御霊はイエスのものを受けて、私たちに適用される。
キリストはご自分の喜びを天の棚に置かれ、私たちが上って行ってそれを自分のものにするようにされる、と考えてはならない。主ご自身が私たちに近づき、主の平安を私たちの心に注いでくださる。クリスチャンよ。今夜あなたが深刻な苦悩と戦っているならば、あなたの父は約束を与えておいて、井戸から水をくみ出すように、みことばの中からあなたにそれをくみ出させるようなことはされない。みことばの約束を、新たにあなたの心に書き記されるのである。あなたに愛を示し、あなたの心労を、神の尊い御霊によって打ち払われるのである。
おお、嘆く者よ。神がその民の目からすべての涙をぬぐい去られるのは、神の大権であることを知れ。イエスは、単にあなたに約束のすばらしいぶどう酒を与えられるだけでなく、金の聖杯をあなたのくちびるにつけて、いのちの血を注がれる。長い旅路に疲れた病んだあわれな巡礼は、歩けるように力づけられるだけでなく、鷲の翼に乗せて運ばれるのである。
栄光ある福音よ! それは無力な者のためにすべてを備え、それに達することができなければ、ご自身が近づかれる。――私たちが恵みを求めるに先だって、私たちに恵みをもたらす。その賜物に栄光があるように、その与え方にも栄光がある。イエスを知らせる聖霊をもつ人は幸いである。