座間コミニティー

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◆庭の中に住む仲間たちは、

2013年10月30日 16時03分00秒 | 聖書

あなたの声に耳を傾けている。私にそれを聞かせよ。(雅歌八・一三)

主イエスは、ゲツセマネの園を去り、今主の教会の園の中に住んでおられるが、あの園のことをよく覚えておられる。そして今住んでおられる教会の園においても、主の幸いな仲間に加わっている者に、御心を打ち明けてお語りになる。その御声には、すべての人間の音楽も及ばない愛のメロディーがある。
地上における何万の人々、天上における何百万の人々が、その調和のある音楽を楽しんでいる。私がよく知り、うらやましく思っていた人々は、今なつかしい御声に耳を傾けている。おお、私もその喜びにあずかることができたなら! これらの人々のうち、ある者は貧しく、他の者は長く病床にあり、さらにある者は死の門に近づいている。しかし、おお、私の主よ。あなたの御声さえ聞くことができるならば、私は喜んで彼らと共に飢え、やせ衰え、共に死にたい。
かつて私は、しばしばあなたの御声を聞いていました。しかし、あなたの御霊を悲しませました。私をあわれみ、私のところに帰ってください。再び「わたしがあなたの救いだ」と御声をかけてください。他のどのような声も私を満足させません。私はあなたの御声を知っています。私に御声を聞かせてください。あなたが何と言われるかは知りません。そして、条件をつけることをしません。愛する主よ。ただあなたの御声を聞かせてください。それが叱責ならば、そのためにあなたをあがめます。私の鈍い耳をきよめるために、肉にとって非常な苦痛である手術を要するかもしれません。しかし、どんな犠牲が必要でも、ただ、御声を聞くことができない者とはしないでください。
今夜、あなたの卑しいしもべの、この願いを許してください。私はあなたの血で贖われ、あなたのものなのですから。あなたが私の目を開き、あなたを見ることを得させてくださったために、私は救われました。主よ。私の耳を開いてください。私はあなたの御心を読みました。今、あなたのくちびるの御声に耳を傾けさせてください。

 


◆巧言令色すくなし仁

2013年10月30日 07時37分56秒 | 聖書

声を和らげて語りかけても、それを信じるな。
その心には
七つの忌みきらわれるものがあるから。(箴言二六25)

「人を見たらどろぼうと思え」ということばがあります。
人間をそのことばどおり信じるな。人のことばは表面上のもので、「その心の中には七つもの忌まわしい思い・悪い心がひそんでいる」というのです。悲しいことです。しかし、悲しい現実ではないでしょうか。
ソロモンは、ことばがじょうずで、心が悪い人の姿を「銀の上薬を塗った土の器のようだ」(箴言二六23)と言いました。銀むくだと人に思わせますが、中味が違うのです。中国でも、「巧言令色すくなし仁」といって、ことば巧みな人は警戒せよ。真実の人は少ない、必ずといっていいほど裏があると警告しています。私たち人間には裏表がある、口と心の不一致がある。――このことは、人を判断するためによく知っておくべきでしょう。しかし、何よりもこれを自らに当てはめてみて、反省材料にすべきではないかと思います。
いったいどんな、いやな心・みにくい心・神に忌みきらわれる心が、私たちのうちにあるのでしょうか。
イエス・キリストは、こう言われました。「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。……内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです」(マルコ七15―23)。
イエス・キリストは、またこう言われました。「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ四14)。忌まわしい、人をけがすものではなく、こんな新しい泉を心の中に持ちたいものです。

 


◆私は心を尽くして主に感謝します。

2013年10月30日 07時37分00秒 | 聖書

(詩篇九・一)

祈りが答えられた時、いつでも感謝がなされなければならない。それはちょうど天上の愛の太陽が地を暖める時、地の感謝の霧が立ち上るようである。主はあなたにあわれみ深く、あなたの訴えに耳を傾けられたか。それならあなたは生きている限り主に感謝せよ。熟した果物を、それにいのちを与えた源である肥えた地の上に落とせ。あなたの祈りに答え、あなたの心の願いをかなえられた方に歌をささげることを拒んではならない。神のあわれみに対して沈黙を守ることは、忘恩の罪を犯すことになる。それは、病をいやされたのに、いやし主に感謝をしに帰らなかった九人と同様、卑しいことである。
神に対する感謝を忘れるのは、私たち自身を益することを拒むことである。なぜなら感謝は、祈りと同様、私たちの霊的生活の成長を促進する有力な手段だからである。感謝は私たちの重荷を去り、希望を盛んにし、信仰を増進させることを助ける。それは、信者の活力を盛んにし、主の御用のため新しいことを企てる勇気を与える、健全な、また活気ある活動である。
神に対し、受けた恵みを感謝することは、私たちの友をも益する道である。「貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。」もし私たちが「私とともに主をほめよ、共に、御名をあがめよう。私が主を求めると、主は答えてくださった」と言うことができれば、私たちと同様な事情の下にある者は慰められるであろう。私たちの「救いの歌」を聞いて、心の弱い者は強められ、うなだれた聖徒は力づけられるだろう。私たちが詩と賛美と霊の歌とにより、互いに教え、互いに戒めるならば、彼らの疑いや恐れは消え去るであろう。私たちが、主の聖なる御名をあがめるのを彼らが聞く時、彼らもまた「主の道について歌う」であろう。
クリスチャンの義務の中で最もすばらしいのは感謝である。天使は祈ることはしないが、昼も夜も感謝をやめない。贖われた者は白い衣を着、しゅろの枝を手に、うむことなく「小羊はふさわしい」とたたえる新しい歌を歌う。

 


士師記7章1-3節

2013年10月30日 07時35分33秒 | 聖書

7:2 そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」


ギデオンは、主が自分と共にいてくださるという確信を与えられました。

そこで彼は、ミデアン人と戦うために敵の陣地へと赴いていきました。

彼は戦いのために、必要と思える人材をそろえたようです。

ところが主は、あなたと一緒にいる民は多すぎると言われました。

また、このままではミデアン人をあなた方の手に渡さないとも言われました。

それは彼らが、ミデアン人との戦いに勝った時に、彼が自分たちの手によってミデアン人に打ち勝ったのだと語って、誇るようになってしまうからでした。

主がギデオンを戦いのための指導者としてたてたのですから、ギデオンは、その戦いの力は主にあり、また勝利も主にあるということを証しすべき人でした。

ですから、そのようなあり方を持って戦うように導かれたのです。

悪との戦いは、主の御力にこそ、頼るべきなのです。


ホセア書1章7節(へブル人への手紙6章)

2013年10月30日 07時33分31秒 | 聖書

★  しかし、わたしはユダの家を愛し、彼らの神、主によって彼らを救う。しかし、わたしは弓、剣、戦い、および馬、騎兵によって彼らを救うのではない。

■O:今日のコラム

現在、ユダヤ人たちは、自分の国、イスラエルが国として存在し続けられるよう必死に守っています。サタンはイスラエルという国を消すために、必死にイスラエルの周りの国々を使ってイスラエルを攻撃してきます。その方法は、様々ですが、目に見えているのはテロ、暴力、戦争、などなどです。

それにイスラエルの政府も必死に対抗しようと、スパイを送ったり、水面下で敵国をいろんな方法で反撃しています。話によると、イスラエルの情報機関、モサドは、世界一優秀だと。攻撃される前に情報をいち早く受け取り、それに対処ができる情報機関のエキスパートです。けど、自分たちの国を自らの力で守りきろうとしているので、いろんな人の血を流し、手を汚しています。

今のイスラエルの状態をみると、軍事力を用いて対抗しないとイスラエルはなくなってしまう、だから、手が汚れてしまうのはしょうがないと思われます。

しかし、今日の箇所にはっきりと神様は語られています。
ユダヤ人、イスラエルの救いは、弓、剣、戦いなどによるのではないと。

実際に近代のイスラエルの歴史を見ても、それが見えてきます。六日戦争の時、イスラエルは四方八方から攻撃を受けたにも関わらず、勝利を得ました。

ある戦場では、あり得ないことが起こったのです。明らかにイスラエル軍の方が人数が少なかったのに、敵が近づいてきたと思ったら、途中で退却し始めたのです!!あとで、何が起こったのかを聞いたら、敵はイスラエル軍が彼らより圧倒的に多い軍に見えて恐ろしくなり、退却したそうです。

そう、今の時代でも、主はイスラエルを軍事力ではなく、主の方法によって救うことができるのです!

私は、このたくましい姿の神様、そしてこの力強い御言葉が大好きです。

主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
「やめよ、わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」(詩編46編9-10節)

■A:考えてみよう

このように、イスラエルを神様の方法で救われる方は、神様を愛している私達をも救われるお方です。なので、今日、自分の力を置き、神様に委ね頼っていきましょう。

そして、ぜひ今日、イスラエルの国の為に祈っていきましょう。その国が、真の神様だけに頼っていくことができるように。自らの力を置き、全能なる神様がイスラエルを守ってくださることを祈っていきましょう。

また、ユダヤ人のうちに、本当の平安、イエス様が心のうちに明らかにされ、住まわれますようにとも、祈っていきましょう!!

■P:祈り

ハレルヤ!! あなたの方法は私たちが思っているよりも遥かに素晴らしくベストなものです。あなたは軍事力ではなく、あなたの力で戦いをやめさせることがおできになるお方です。

そして、あなたは、必ず勝利を与えてくださるお方。私の人生にも、すでに勝利を与えてくださっていることを感謝します。あなたの御名をほめたたえます!!

主よ、今日もイスラエルに目を留め、その国を守り、そして、ユダヤ人たちにあなたの素晴らしさが語られていきますように!!!

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。