トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

自由恋愛欠落

2021-12-03 11:30:31 | 日記
  自分、多くの旧友の過去を見ると、「自由恋愛」が欠落し、その結果、何事に対しても粗雑になった事が判る。
  1956年生まれの僕だが、話に聞くヨーロッパみたいな自由恋愛社会ならば、どうだっただろうか。小説に求められるのは繊細な文である。早くからその文を書き、ワード・プロセッサーで書き始めた80年代後半から島田小説をまず書き、後は昔の光明養護学校や多磨全生園の小説も書いたと見る。遠藤周作のように、どちらも架空の人物を作って。あと、高島平団地や、母の故郷の長野市の小説も書いていたかもしれない。非常に早くに作家になれたことが察せられる。
 また、そのような社会ならば、200人以上はいただろう、旧友たち全部の人生も大きく変わっていたと思われる。自然に任せる恋愛ばかりすれば、対異性はもちろん、友人間もムリに友人になろうと力まず、結果的にケンカも非常に少ない。会の組織固めする事もなかった代わりに、ゆるやかに続いた。ボランティア活動も繊細にするわけだから、高島平子供会もずっと続く。ボランティアと身障者も繊細に関わり合うわけだから、どんなに障碍の重い人でも、ヘルパーなしでも自立生活ができる。僕も1980年ごろに自立生活したと思う。また、そのような細かい信頼関係が当時縁があったVYSや世田谷ボランティア、その他の人たちとの間にできていたね。そのVYSも会員同士をつなぐため、コンパとか人形劇活動企画作りに役員たちは苦心したが、コンパなども行なわれなかった。聞く所によると、ヨーロッパでは親睦目的のコンパはないそうだ。
 僕の過去の心のわだかまりや寂しさの根も以上だったようだ。粗雑からは人を苦しめる事しかできない。例は違うが、日本の戦後のライ予防法や、戦前のその強制隔離も連想されます。また、ショパンの多くの名曲も当時からあったヨーロッパの自由恋愛の気風も根の一つにある事も...。