トシコロのありのままの暮らし


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S園と高島平関係の僕の記述範囲の違い、及び、人間関係の問題

2018-04-19 14:40:48 | 日記
  S園とほぼ同時に僕が行った所である高島平団地の様子も書こうとした。でも、書いてみて、そこは書き手として、致命的とも思える欠陥があった事に気が付いた。それは78年当時の僕も、子供会関係の情報は所属していたVYSからのものだけだったからである。そう言えば、子供会の父母たちの話は一度も聞いた事がない。そのVYSという会は元々内輪の話し合いばかりして、構成員の気持も内向きになっており、伝えられた情報も全てに渡り、正確さを書いていた。父母の話は聞く事がなく、VYSの話は正確ではない。これでは、その子供会の記録を書く事は不可能だと気が付いた。


  反面、やはり、そのVYSの人たちと行ったS園だが、大人園生3人の生の声を聞けた事は良かったし、3人の証言は温度差こそはあるが、ほぼ同じ事を述べており、正確でもあったと思われる。だから書けるのである。しかも、3人共、「現在進行形」の話ばかりで、「今の状況をどうにか改善したい」という気持ちにあふれていたから、僕も心が動き、今も印象に残っているわけである。それ故、今でも書けるわけである。これからも書き続けるわけである。

  誰でも書ける事と書けない事がある。そういうものかもしれない。

  因みに、日本では、1960年代は全学連の活動が活発に行われ、その世代の当時の若者たちは多くの垣根を越えて、盛んに交流した。でも、その全学連は次第に分裂し、若者たちも次第に小さなグループを作り、その中で話し合ったり、一緒に酒を飲むようになった。その流れは僕の青春時代の70年代後半以降も強くあり、親睦会は勿論、福祉団体や身障会、キリスト教関係の会までもそのようになっていった。内輪でしか通じないような話ばかりしていけば、外部の人も入れないわけだから、メンバーも増えないし、飽きてもくるわけだ。次々と潰れていった。又、身障会の場合は、身障者の状態も本当は多様だが、内輪の話し合いばかりしていくと、メンバーの身障者の状態で福祉の事を考えるようになり、他の身障者と考えも合わなくなり、ケンカに至る例も多かった。あるいは、一部の身障者だけを基準とした福祉施策の運動をして、実現した場合、基準に合わない人たちは切り捨てられたりしたこともあった。良くなかったと思う。

  以上の流れを悪用したのが麻原彰晃が作ったオウム真理教である。確かに、それは内輪コミニティの典型例だから。それを考えても、内輪の会合はダメだと思うわけである。

  今はフェイスブックなどがあり、いくらでも多くの人と出会えるから、少なくとも、僕は内輪の会合の会行く必要も感じていない。昔の僕も内輪的な会にはおかしさを感じたが、多くの人たちと出会いたいという気持ちから、色んな会に入ったわけである。