高校時代の古文に、清少納言だっただろうか、虫を「前世の親戚かもしれない」と言って殺さないものがあった。徳川綱吉の「生類憐みの令」もそうだが、江戸時代までの日本人は仏教を共生価値観にして、動物愛護や福祉を推進してきた。
いつの時代でも、共生根拠は必要ではないだろうか。江戸時代には戻れない以上は、新たに発達している生命科学も絡めて、遺伝子や命を共生根拠にすれば良いし、そうしてこそ、福祉やエコは勿論、お金にも目が向かず、金権政治も、格差や汚染も消えていくのではないかと。確かに、共生根拠がない国ほど、金権政治や格差、自然破壊がひどいからね。
僕の入った複数の会では、友情を共生根拠にする動きがあったが、必ず挫折。それは気が合う人としかできないものだから、連帯も、社会性もなく、構成員は視野も行動も狭くなり、会自体が潰れて行きました。むしろ、何かの共生理念の下、友情も、恋愛や結婚も生ずるわけです。本末転倒でしたね。
いつの時代でも、共生根拠は必要ではないだろうか。江戸時代には戻れない以上は、新たに発達している生命科学も絡めて、遺伝子や命を共生根拠にすれば良いし、そうしてこそ、福祉やエコは勿論、お金にも目が向かず、金権政治も、格差や汚染も消えていくのではないかと。確かに、共生根拠がない国ほど、金権政治や格差、自然破壊がひどいからね。
僕の入った複数の会では、友情を共生根拠にする動きがあったが、必ず挫折。それは気が合う人としかできないものだから、連帯も、社会性もなく、構成員は視野も行動も狭くなり、会自体が潰れて行きました。むしろ、何かの共生理念の下、友情も、恋愛や結婚も生ずるわけです。本末転倒でしたね。
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