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中世ヨーロッパや江戸時代で、キリスト教や仏教が栄えたのに地上天国にならなかった理由

2017-09-28 17:00:12 | 日記



まだ教育も普及しておらず、宗教家含めて、人格や人権に対する認識が非常に少なかった事だろう。


  新約聖書にはイエスが娼婦やハンセン氏病患者みたいな人たちにも人格を認めて付き合い、救った事が書かれているし、シャカも出会った一人一人の人格を認めて対応されている様子が仏典に書かれている。中学・高校時代の僕はそのような視点からはキリスト教や仏教を考察しなかったが、30歳くらいから少しずつ疑問に感じるようになり、その考察の結果が以上である。

  イエスやシャカの後継者たちも人格や人権を鋭く説いた例はあった。聖フランシスコや、日本の親鸞上人は典型例だと思う。でも、まだ人々の教育水準が低く、人権や人格という考え方が、ヨーロッパは王侯貴族、日本では将軍や殿様みたいな人たち含めて、行き渡っていなかった状態では、聖フランシスコや親鸞上人の考え方もどれだけ人々に理解されたか、疑わしい。読者の皆様もよく知っている通り、ヨーロッパの中世や日本の江戸時代以前の社会は非常な身分社会で、最下層の人たちは強い差別を受けていた。地上天国の条件の一つには、全ての人たちの人格や人権を認める事が挙げられるわけである。また、封建社会から1917年にいきなり共産主義社会に変わった旧ソ連・ロシアにも言えるかもしれない。

   大体、1970年ごろからだろうか、北欧諸国から、どんなに重い障碍を持つ人たちの人格・人権を認めて尊重する福祉社会化が始まり、ヨーロッパに広がり、やや遅れて我が日本にも広まりつつある。それにわずかの期待を掛けたいものである。人格・人権が非常に認められる社会では、徴兵制は勿論、軍隊や武器も存在しないわけだから...。

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